2026.09.07

雨はそこまでではなかったようだ。歯の欠けたところが染みるので朝食を食べる気も、水を飲む気も起きない。一斉休校の影響で労働の配分が変わり、会議の代行などがある。それらの合間を縫って昼時に歯医者に行けることになる。予約時には当日駆け込みだから結構待つかもと言われて本を持って行ったのだけど、受付して二秒で呼ばれ、これならちゃっちゃとやっちゃいましょうと詰め物をされてものの十分程度で会計まで済んでしまう。本を開く間もなかった。気持ちのいい手際だった。舌にいちいちざりっと引っかかる不快さがなくなって気分も晴れやかで、昼食は大盛りのミートソーススパゲティをこさえて食べた。詰め物をした歯にもちょっと染みた。もうすこし絶食するべきだったかもしれない。けっきょく欠けたのか詰め物が取れたのか判然としない。下顎の骨が隆起していて、それは噛む力が強すぎるからだという。マウスピースをして眠るべきなのだが面倒になってサボりがちだが、欠けないようにちゃんとするべきなのだろう。

夕方、急に眠たくなり一時間半ほど昼寝。交代で奥さんが寝室にやってきて眠る。昨晩は寝られなかったらしい。起こすのも忍びないので一階で水炊きをつくり、起きてくるまでぐらぐら炊いてやろうと決める。結果的に三時間しても起きてこず、声をかけに行く。おかげで読書が捗った。

『魔の王が見る』はとびきりの面白さ。この本の次は『大江戸視覚革命』のつもりだったが『文学とテクノロジー』かもなあと思う。『新潮』が届いたので山本浩貴のものだけ取り急ぎ読む。ここ最近の投稿や記事の端的なサマリでありつつ、結語の驚くほど素直な肯定性に嬉しくなる。多くの部分を気分として共有している気持ちになりそれこそ勝手に励まされつつ、マイナーなままで小規模な社交空間をこつこつほそぼそ実践していくことについて改めて考える。高山宏もそうだが、厳密さや正確さを軽々と超え出る、無断で横暴な脱線や連想の明るさにこそ僕は与していたいのだと何度も忘れかけ繰り返し思い出すこの数年だ。専門性でも人気商売でもない、間違いや綻びだらけだが面白く、動員とは無縁の自己享楽でしかないはずなのになんだか読む人が巻き込まれてしまう、ただ楽しいだけの知的遊戯。そういうのをずっとやっていたい。そうした営為がなんとよばれようとあまり関係はないが、アリバイとして随筆とか批評というものを使っているだけである。曖昧で猥雑な「私」の物質性を、より驚天動地な奇矯な配列へとアレンジし、繋げ間違え続けること。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。