2026.09.09

二日前に鯵の南蛮漬けをつくったさいにぜいごの下処理で右の人差し指を傷つけてしまい、細かいぶつぶつした切り傷がじくじくと痛みつづけている。雨のたび秋めいていくと思ったのに今日は湿気と暑さがまとわりつくようで汗が流れていかないねっとりとした質感であまりよくない。やはりお風呂の温度が低すぎるだろうか。ちゃんと汗をかけていない人の汗という感じがする。気に入った中華屋の野菜炒めはしゃっきりと瑞々しく、水を閉じ込めるように火を通す技を身につけたいものだと思う。家だとどうしてもべちゃっとなる。『魔の王が見る』はグリーナウェイの章は映画を見てから読もうかと思いいちど寝かせて、電車では丸山眞男『日本政治思想史研究』をひらく。体制の変換に立ち会うことと、安定の後に生まれること、生年のズレが決定づける思想の立脚点の差異について考える。ものごころがつく前後の、目の前にある世界が自明のものとしてそうある感覚の抗いがたい強力さ。不安定化する社会では静的な体系が、安定した社会では動的な思想が要請される。たとえばゆとり世代とは、前者の不安定な社会を用意する新自由主義的な政策と並行して進められた、後者のような精神性の教育によって養われたものであるといえる。安定を前提として成立した動的なものへの志向が、本人らの自覚や願望にかかわらず——おそらく多くの場合はそれに反して——不安定化に寄与する心性としてはたらいてきたというのが個人史的実感としてある。動き続けていたいとは言ったけれど、それはフィールドじたいは盤石であることが前提であって、足元からぐらぐら揺れているような状況では足がすくむ。かといって、いまさら静的な定義へと実存を押し込めるような外圧に対するほとんど生理的な嫌悪を捨て去ることもできそうにない。このようなジレンマがこの世代にはあるように思える。安定志向とノマド性の奇妙な同居。その調停を目指したのが『会社員の哲学』だったともいえる。

残業して帰宅して泥のよう。ケーキとか食べないと報われない。今週は二人そろって調子が悪いから誰も助けてくれない。もたれかかりあって生きているが、もたれるなよ重いから、とお互いに思っていそうな数日だ。ルドンが毛玉を吐いたらしい。お風呂に塩を入れたら気持ちよく汗をかけた。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。