午後から松井さんがはるばる家まで来てくださる。初校ゲラに対する校正者からの鉛筆をひとつずつ確認する作業をするために関東まで出てきてくれるというので、せっかくならとお誘いしたのだけれど、考えてみるまでもなく、結果として移動時間をさらに長くしてしまったし、立地的についでの用事も組みにくいだろう。この前松井さんとお会いしたのは『r4ンb-^、m「^』を刊行した岐阜駅本の市だろうか。娘さんがお気に入りの猫のぬいぐるみを伴っていて、本も買ってくれた。ねこのほんだ!と喜んでくれた。あれが去年の三月だ。ことしは岐阜の本の市はなかったのか、すくなくともZINEの出展はなかった。もうルドンが家に来て一年と九ヶ月が経っているわけだ。ルドンはちょうどお昼寝を終えて元気な時間だったようで、松井さんを迎えに行って帰ってくるとお出迎えしてくれて、さっそく愛想のいい来客対応をしてみせる。ヒトの子供に接するときと同じ感じになってしまう、といいながら可愛がってくれる松井さんの姿を見て、ルドンと会わせたかったからすごく嬉しい。
さっそく指摘事項の引き合わせと本文確定の作業に取り掛かる。単行本の話が最初に出たのが三年前とかだろうか。あれこれで断続的に進んだり中断したりで、ずいぶんと時間をかけて作っており、とはいえ僕の手はとっくに離れて、忘れた頃に進捗が共有され、そのたびわくわくし、『プルーストを読む生活』の重版があり、また忘れるというような感じですでに出るのだという実感が薄らいでいるというか、作っているという感覚はさっぱりない。作ってもらっているという感じが強い。収録されるもののうちいちばん古いのでプルーストの直後くらいだから六年とか前になる。蔵前のH.A.B で松井さんと出会って、自作の本を見初めてくれて、あちこちへの寄稿や出演など嬉しい出来事を運んできてくれる立派な本として仕立ててくれた。日記ではない原稿の依頼によって、読み書きの現場を整えてもくれた。当時はこのまま二冊目三冊目とでちゃったらどうしようかな、などと調子よく考えてもいたが、依頼原稿などを書いていくうちにだんだん書くことの面倒さや重苦しさも加齢も相まってわかるようになっていって、なかなか軽薄におばかを晒すように踊ってみせるというのを見苦しくない形で続けることに難しさを感じるようになっていったいまこのときとなれば、一冊つくることのたいへんさは想像を絶する。というか、自発的なものではなく、外注されてものを読み書きするという経験は、僕は読んで書きたいものしか読んで書けないなということを痛感するものであり、一時期の友田とんさんが言っていた図式を借りれば、マーケットインで本を企画し作るとか、依頼された通りのものを納品するとかは端的に楽しくない、楽しくないとやれない、プロダクトアウトでいくしかない。マーケットごと作っていくしかない。マーケットとか考えるのは面倒でしかないのだが、しかし依頼されて商品として売文するというのはどうしたってそういうことを考えることこそが誠実ということになったりする。松井さんはこちらにそういうことをまったく考えさせない。初めに出会った編集者がそのような人であったことの僥倖。年々感謝が雪だるま式に膨れあがる。こうしてゲラにざっと目を通していると、高校生くらいになった頃に見返す幼稚園から小学校くらいまでの自分のアルバムのような眩しさがある。愛されて、爛漫とし、かわいい。のびのびとしたそれらの野蛮なくらいの不恰好さにこちらもにこにこしてしまうし、僕は元々こういう感じだったのだ、と思い出すようでもある。うまく書こうとか、市場だの顧客だの、どうだっていい。ただ楽しければよいのである。外からのニーズに胡座をかいて楽しくし続けるための胆力を維持する日々の鍛錬を怠っていたのは自分である。なんでもいいから楽しくしろよと力づけられるようなところがある。やはり僕は僕の書くものがいちばん好きだ。それはくたくたに煤けたぬいぐるみのように、安心できる臭いが染み込んでいる。勝手気ままにすること。それを無自覚にやっている頃の文章を読むと、無自覚のままでいさせてくれた松井さんの手腕に思い至る。この本に収められるものは、そうした勝手気ままさが失われ、ぎこちなくなり、そこからのどう野趣を取り戻すかという試行錯誤の記録でもある。かつては好きだからという理由で着ていた服が、トレンドやら周囲のファッションに対する感度があがることでダサいものであることに気がついてしまい、なんとか垢抜けようと頑張ってみるのだがそのせいで服が楽しくなくなり、けっきょく自らの意志で好きな服を好きなように着るという居直りへと戻っていく。そうした回帰は、ダサさを受け容れるという謙虚さだけではなく、好きなものの好きなありようを周囲にも受け容れさせてみせるとう傲慢な強度を獲得するものでもありえるだろう。
いまだったらこうは書かないな、下手くそだし、という過去の自分の奔放さを、うまくいっていない謎のこだわりを、僕はそのまま残してあげることにした。五年前の、三年前の柿内さんはこういうふうにしたかったのだからこういうふうにさせてあげましょう、とかつて松井さんが僕にやってくれたように好きにさせてあげる。そういうふうにゲラを直していくので直すところもほとんどなく、名古屋から東京まで新幹線がかけるくらいの時間で作業は終わる。終わった途端にそれまで僕の膝にいたルドンが床に着地し、松井さんを見上げる。膝に載りたいみたいですよ、といい、姿勢を変えてもらうとすぐに飛び乗る。くるくると喉を鳴らし、覗き込む松井さんの鼻に湿った鼻をくっつける。なかよし。お茶を淹れ直し、羊羹を食べているあいだもルドンは松井さんの膝に落ち着き、とうとうすやすや眠り始めた。おかげでトイレにも行けない。埒があかないのでどいてもらって、二階の図書室も見てもらう。なにより棚の構造や棚板の素材や厚みに注目し、そうかここはこれでいいんですね、と感心する目に嬉しくなる。これからの楽しみな計画もあれこれ聞かせてもらって、ずいぶん楽しみが増えそうだった。ルドンを抱っこして松井さんと並び、奥さんが写真を撮ってくれる。バス停までお見送りする。
