2026.09.20

台風が接近しているというのにスーツケースで本を持ってイベントに向かうのばかみたい。きょうはおそらくポストモダンとかそのへんの話をするだろうと手に取った『構造と力』は古書で買って、浅田彰の巻頭インタビューが載っている『平凡パンチ No.1000』とドゥルーズの訃報の切り抜きが挟まっているのに初めて気がつく。『平凡パンチ』はすごくて、特集は「春だ!! 女が咲いた!」だし、浅田以外の記事も「オッパイがイッパイ」「人妻告白座談会「イクッ!」って極意教えちゃう」「アメリカン・ハードコア・ポルノ 年上の女と」「世界のエロティシズム 女体の曲線と箱」などエロしかなく、この磁場において「賢明ワイズな あまりに賢明ワイズな 諸クンに」とインタビューが載る時代の凄さを体感できる。インタビューを読み、穏当なことしか言っておらず、興味が湧いて『構造と力』も読み始める。学生としてモラトリアムの退屈と焦燥を素直に表明し屈託なく共感の共同性を立ち上げようとする序文がかわいい。本文もするする読める。誰も理解できていないという感じで異様なブームと難解さばかり耳に入ってきていたから敬遠していたけれどずいぶん読み易いじゃないか。本人がチャート式と表明しているが、予備校というか塾講師の文体という感じがある。構造主義からポスト構造主義へという変質は、構造を静的なものから動的なものへと読み替えるものとしてあり、僕の理解ではこれがそのままモダニズムとポストモダニズムの違いに対応するものだったのだけれど、浅田の説明だとむしろ近代資本主義社会という動的な構造を近代に属するものとして整理されており、そうか、そうだよねと面白かった。終盤になって、浅田はその動的な構造からどう自由になりうるかを構想しようとするのだが、そんな道はどこにも見当たらないという絶望もまた色濃くある。祭祀や蕩尽によって周期的に外部へとひらき馴致しつつ内部の安定をはかる静的な構造(プレモダン)から、貨幣というラディカルな水平主義者を内にある外部として取り込みもはや外部などない動的な構造(モダン)へ。この整理においては、いまだモダンの次や外部などどこにもない。浅田はアイロニックに絶え間なく動き続けようと嘯くが、こちらとしてはいつまでも立ち止まらせてもらえないことにこそくたびれ苛立っているのだ。動的な構造においてはもはや内と外の区別は失効し、束の間現れる外部はつねに構造のアップデートに資するものとして繰り込まれていくから、貯蔵される金のように安らげる場所はなく、変動するレートにもみくちゃにされながら過剰に動き続けるほかない。現代は遊撃のような多動さに夢を託すよりも、ひっそりと静かに座っていたいということのほうに希望を感じる、そのような状況なのだなと当時の状況と照らし合わせるようにして納得する。そもそも、かわいい序文からして「ボクたち大学生」という読者共同体を想定してそれでじっさい人の心を掴んだわけだから、若者の数が違う。年寄りばかりの国では多動よりも休止が歓迎される。

学術バーQであべさん、来世さんと本を囲んで語らう会。イベントタイトル、「本を肴に酒を飲む」にすればよかったな。今回は鮫君の仕切りもなく、台風で集客もそんなにないのもあって、興行として親切にするというのを一才考えないことにして、とにかく本について好き勝手に用語や符牒の説明もなかば放棄して捲し立てた。これは朝まで何時間でも楽しめる遊びだけれど、見世物として成立していたかは微妙だ。でもそれでいい。僕がただやりたかったからやった企画だし、僕が楽しければそれでいい。客商売にあるまじきそういう図々しさ太々しさを取り戻すようだった。かえって今日のような天気であって都合が良かったかもしれない。帰り道、笑えるほどびしょ濡れ。本が無事でよかった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。