2026.09.21

九時まで途中覚醒なしで熟睡。昨晩の雨の方がすごかったんじゃないか、と思いながら、確実に低くなっていく気圧にぐべえ、とうずくまる。いや、むしろ優先順位を間違え続ける多動を発揮して自滅していくようだった。金曜の奥さんの逸品ポッサムの煮汁をスープにしてラーメンに。せっかく昨日から仕込んでいたのに煮卵を忘れてしまう。『ふつつかな悪女ではございますが』の最終回。こういうなんちゃって異世界ものみたいなやつって『水戸黄門』なんだなというのがよくわかる楽しいアニメだった。視聴者がすっきり快哉を叫びたいという欲望にかなり忠実。

『ワールド イズ ダンシング』も完走。主人公のノンデリハム太郎っぷりに辟易としていたからこそ、中盤からの体制の側で成功してしまった側の人間としての葛藤、声変わりによる行き詰まりといった展開で一気に引き込まれたからこそ、ここからなのに、というところで終わってしまったなという感じ。

『さよならララ』も終わってしまう。語りたい主題と絵と構図が合致して高度なアニメーションに目を見張るばかりだったのだけれど、脚本の構成とセリフが信じ難いほど拙く感じ、あえてだとしてもダサすぎやしないかと思って最後まで、めっちゃいいじゃんと広義のテクストを味わう目の判断と、マズすぎるという言語レベルでの拒絶に近い反応とが衝突し続けて、難しい作品だった。一気にぜんぶ終わっていく。旧作を織り交ぜておかないとシーズンの変わり目に調子を崩さずにはいられない。何を見るのがいいだろうか。

夕食の支度をしながら『薬屋のひとりごと』をはじめてみるが、なんちゃって中華後宮ものが好きなわけじゃなくて『ふつつかな悪女ではございますが』が好きだったんだよなーとは思う。あちらは皇太子そっちのけで姫同士で結託するところにこそ痛快さがあるわけで、有能さや豪胆さで有力者に認められて否応なく出世していくみたいな話はあまりにサラリーマンすぎる。まだ一話だし、そういう話になるのかはわからないけれど。フィクションにおいては僕は明らかに自営業や起業家の話のほうが好ましいというか、体制を所与のものとしてそのなかでやりくりする話はなんだか貧乏くさく思えてしまう。いまやっているFGOのイベントのシナリオが人狼もので、人狼ものの馬鹿らしさとも通じる。やりたくもないゲームを従順にやらされて、しかもそれに真剣に取り組んでしまうことの馬鹿らしさ。『薬屋のひとりごと』はいまのところ馬鹿馬鹿しいから付き合いきれない、みたいな態度も示されていて、今後の展開次第ではけっきょく好きなのかもしれない。いつか歯医者で歯科衛生士と世間話をしていて、アニメが好きというので話を聞いたら薬屋やスライムやリゼロで、どれもまったく知らないのでそう話したら、逆に何見てるんですか? みんな見てますよ、と驚かれ、そうなんだよな、大勢が見ているものってそっちなんだよなと感心した。そういうタイトルはスタバ的なものというか、ノーラン的なものというか、好事家からすればふつうにばかにしているものなのだが、そうした界隈的なノリの門外漢からすればそれこそど真ん中みたいに捉えられてじっさいに広く流行っているみたいなものとして思い込んでいたけれど、まずは見てみないことにはわからない。スタバのコーヒーもノーランの映画もダサい。流行っているアニメはどうだろうか。流行っているからダサいというわけではない。スタバやノーランのダサさは、その権威の調達の仕方も含め、センスが決定的に欠けているという点にある。本格派を名乗るには野暮ったすぎる。野暮ったいものとして楽しめば楽しめるのだが、それがありがたがられているのだと思うとげんなりしてしまう。流行そのものではなく、多くの人にとって好事家の美意識などまじで何にも伝わらないんだなという失望によってこそ、流行ものへの拒絶感や逆張り的なものいいというのは駆動されるのだと思う。センスやステータス語りそのものが嫌だという話のもっと手前のところで、そんなダサいもののレベルでセンスやステータスを語らないでほしい、というような深い失望がある。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。