台風一過で快晴。ずいぶん久しぶりだ。台風の前から一週間以上雨が降っていた気がする。低気圧で連休中はほとんどぐじぐじしていたから、きょうくらいはお出かけしようとふたりで決めていた。葛西のほうの豆花を試してみようかと思っていたけれど電車内でお腹が空き始めてしまったので船橋にまで出てシャポー内の天ぷらやまやでお昼ご飯。ご飯と明太子はおかわり自由で、天ぷらは一個ずつ揚げたてをサーブしてくれるので楽しい。しかもおいしいので満足。すでにいい休日になった。
乗り換えて、そうか、東京行きに乗るのか、と千葉にいることを実感する。網棚の上の広告の枠に沿って毛虫が登攀しており、傾斜のきついところに差し掛かるとぷるぷると体勢が不安定になるので下の席の乗客の首元に落ちやしないかとはらはら凝視していたらあっという間に到着。
行楽日和だから葛西臨海公園も大人気スポットで賑々しい。水族館の券売機も行列ができていて、オンラインチケットを買っておけばよかったといまさら気がつくがこの人の数だと弱小SIMの電波があるはずもなく、おとなしく並ぶ。ガラスドームはやはり格好いい。なんか耐震のあれとかで取り壊しになるとかならないとかいう話がなかったっけ、もうないのかと思ってたけれど、まだあって嬉しい。しかしすごい人だ。魚の数より多いのではないか。ほとんど骨格や標本しかないような学習スペースみたいなところでさえ大繁盛している。ちょうどあと十分ほどでマグロの餌やりの時間ということでまっすぐそこに向かって、水槽前の位置でわくわく陣取る。時間になると飼育員の解説が始まり、ふたりして熱心に聴き、見入る。マグロはでかい。でかいやつだと納谷やクリス・ブルックスくらいあるらしい。ここにいるのは最大でYuto-Ice やフィンレーくらいなのだという。鱗が銀色で、衝突の跡なのか凹凸がぎらぎらしていて渋い。十六匹のマグロに対して二十四キロの鯵や飼料が投げ入れられるとわーと歓声が上がる。マグロたちは水面に向かって一気に加速し、ぐわあと丸呑みにしていく。旋回の角度も急になる。体の小さいものたちははしっこでおこぼれを待つ。勢いよく水面へと跳び上がり水飛沫をあげる一匹がおり、また歓声があがる。こわい、と子供の声がする。こういう餌やりの時間に水槽前にいるというのは人混みを嫌うふたりとしては珍しかった。きょうはどこにいても混んでいるのもあって気が向いたわけだけれどこれは面白い。
二時間半くらいたっぷり歩き、ペンギンが通勤ラッシュ並みの密度で水中を回遊しているのとか、引き潮で岩場に現れたカメノテが満ち潮だと水面の反射で目視が難しくなるのとか、水槽からカエルを探すのとか、ヤセタマカエルウオが岩から岩に飛び移る思いがけない跳躍力とか、フジツボの触手がうねうね気持ち悪いのとか、いちいち面白い。奥さんはエトピリカが好き。『ハッピーフィート2』の詐欺師。もう少し待てばこちらも餌の時間が見られるということでいちど休憩スペースで足を溜める。エトピリカとウミカラスの水槽に戻り、餌やりを眺める。ウミカラスは飛ぶのも泳ぐのもフォームが綺麗で、それと較べるとエトピリカは大きな足もあって陸でもどたどたしている。でも水中に入るとすいーっと泳ぐ。泳いだり飛ぶのはしんどいらしく、飢えや必要がなければなるべく陸に居たいらしく、それによって足の病気に罹ったりするらしい。出不精の奥さんはそこにもいたく共感を示していた。じっさい、飼育員が給餌の方法を工夫してなるべく水中に滞在する時間を延ばそうとしているのだけれど、ある程度食べるとあっさり諦めて陸に上がって毛繕いを始めたりもっちり座り込んでしまう。この姿態がかなり猫っぽい。飽食と怠惰の感じもまた『ハッピーフィート2』のスヴェンっぽい気がする。ほとんど覚えていないが。
大満足で、物販でエトピリカのぬいぐるみを検討するが、足が違う、と奥さんのこだわりで却下。もっと高級なやつを買おう、と検索するのだが北方領土にまつわる情報しか出てこない。翌日のきょう調べながら日記を書いているが、パフィンやニシツノメドリで検索した方がいいのだ。
ロイヤルホストまで歩いてパフェ休憩。激混みのシャトルバスで亀有まで。アリオをひやかしてユニクロで部屋着を買ってから高架下のフーフー飯店で晩御飯。特によだれレバーとかおいしかったし、悪くなかったのだけれど、店内音楽の「内なるJ」への屈託のなさに味がわからなくなる。
日本的リアリティと対決すること。日本語ラップの日本社会における最大の意義とはここにあるのではないだろうか。その「リアリティ」を、今度は「J」という言葉に言い換えてみることができる。九〇年代というのは、「J」の時代であった。ラジオ局「J-WAVE」に始まり、「Jポップ」、「Jリーグ」、「J文学」と、様々な「J」があった。むろん、「Jラップ」も。そして「日本語ラップ」という言葉自体、「Jラップ」に対抗するかたちで編み出されたものであった。日本語ラップがその始まりから抱いている「J」への嫌悪。ECDは「さんピンCAMP」でこう言った。「Jラップは死んだ。俺が殺した」。日本語ラップとは「J」を殺戮するプログラムである。
まさに「J」が氾濫した九〇年代に生まれた BAD HOPは後年、「内なるJ」という、きわめて興味深い言葉を発したことがある。それは彼らの身内で使われたスラングで、日本で生まれ育った以上はぬぐいがたく染みついた「日本的な感覚」のようなもの、音楽的にはJポップ的なメロディのことを指す。彼らがレコーディングでラップのフロウ——USのそれと遜色がないような、最先端の——を考えるとき、ふと、無意識から回帰してくるかのように、Jポップ的センスにまみれたダサいメロディが出てきてしまうことがある。それを仲間内で「内なるJ」と呼んでいたそうである。このとき重要なのは、「J」的環境で生まれ育ったのだから「内なるJ」が彼らのうちに存在しているという現実は否定しがたいが、しかしそれを表に出すことは控えるべきであり、抑圧すべきものだと彼らが言っていることである。彼らは日本的「リアリティ」を「否定」するのではなく「否認」の戦略から、抗おうとした。
中村拓哉『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』(書肆侃侃房) p.92-93
「J」とは根拠を失いサブカルチャー化した緩いナショナリズムであり、グローバル経済のただなかで文化面でだけでも自閉しようというような外部を否認するしょぼくれた身振りである。そのような否認をこそ否認しようとするところにこそ面白さがあると思うのだけれど、また再びこうした「J」への回帰がそこここで見られるような気もしており、うそ寒い気分になる。
それはそれとして帰宅してじっくりお風呂とフットマッサージ。久しぶりに歩き通しの楽しい休日だった。
