2026.09.26

mokuでスケジュールしている「読書」でブロックされるべきアプリが解放されており、逆にブロックの対象外にしているものが使えなくなっていて、あれ?と思う。設定など見直してみるが間違っていない。スケジュール設定せずに開始すれば問題なさそうなのだけれど、それだとカードを置いて外出しても指定時間になったら自動的に解除されるみたいな使い方は難しそうだ。アップデートに期待。

両国に寄ってYATOの棚を見たくて、鮫君も来るというので一緒に本を吟味した。二年くらい前の投稿を最近になって見て——『リトル・ミス・サンシャイン』が懐かしくなって検索した——欲しくなった『失敗のクィアアート』を探す。大事に長く売っているはずという予感があった。目的の本があってYATOの棚を見ると、棚の生態系が独自のものであることがよくわかる。『失敗のクィアアート』がありそうな棚ばかりなのだ。社会運動の実践に近しいところでもありうるし、芸術批評の文脈もありえる、フェミニズム理論の流れにも属しうるし、映画の本はそもそもあちこちに偏在している。アニメ作家の塊も別にあるし、ポップカルチャー枠の可能性もある。しかもこれらがシームレスに繋がり合い、横の本を見る限り仮に上記のような関連を見出せそうなのだがじっさいは不意に別のコンテクストへと移ろい、また別の棚で再びもとの話へと戻ってくる、なんならさっきと同じ本が継ぎ目のようにして現れる。本が本を呼び繁茂するようにして棚がある。無目的に歩き回るより、一冊を目的に観察したほうが複雑さが増す、目的意識が目の前のものへの知覚を縮減するのではなく、むしろ楽しく撹乱されるものとしてはたらく。やっぱりとてもいい本屋だな。二周目でようやく見つけ、道すがらで見つけてしまったアウグスティヌスを来世さんが勧めてくれたのを思い出しながら買う。レジ前でしばらくおしゃべりして辞す。

平井に出て社交。はじめの小一時間は無人で、鮫君と並んで座りながら買いたての本を読んでいた。心配していた雨はやんでいた。たまにぽつぽつきはしたが。事前に約束していた楽しみな再会があり、思いがけない訪問があり、初対面の人がいて、はしゃぎすぎる人、気遣いに溢れた人、チャレンジしてみたけれどタイミングが合わず勇気が挫けてしまった人もいた。僕は社交の場はちゃんと失敗できる場所としてもあってほしく、だからチャレンジできた人はみんなよかったね、と嬉しく思う。懲りずにまた試してみてほしい。どうせ他愛もない話しかしていないし、ここでの成否がなにかを左右することもない。今回うまく参加できなくてもまた来てもいいし、今回楽しく過ごせたとして二度と近づかなくてもいい。べつにここでやっていることは大したことない。大したことなく、あっけない、そのことを確認できれば充分だ。

取材もあって、カメラ位置の吟味やあれこれの調整が丁寧に時間をかけて行われているのを視界の端で捉えながらその場の会話に参加し、いざ始まるとちゃんと格好つけてしゃらっと喋った。でも喋ったことはさっき書いたような、いつも言っているような話だ。カメラが回る前後で露骨に姿勢が変わるところをその場に居合わせた人には見られているわけで、恥ずかしさと頼もしさの混ざり合った気分になる。あとで、横で聞いてて思ったんだけど、と話しかけてもらえた時、なんだか嬉しかった。おしゃれもするし、背伸びはする。でもそれは、この心身から遊離するということではない。大したことないまま、ちょっといい格好をする。格好つけないとみっともないし、つけすぎると嘘になる。ふつうにピッとすること。気負わず気取ること。

青さんは喉の調子が悪そうで、会場の準備だけして家で寝てます、などといいながら結局ふらっと現れて葡萄を差し入れしてくれたり、犬と遊んだり、なんだかんだで場の手入れをしてくれていた。近所の中華でマッコリをボトルで飲みながら——中華?——かるく打ち上げて、終電に余裕を持って帰る。奥さんは帰省中なのでルドンの餌やりをしに絶対に帰らなければならないのだ。それでも遅いわけで、猛烈な抗議を受ける。心細かったのだろう。食事中のほかはほとんどずっとべったりくっついてきて、僕も今晩は奥さんがいなくてさみしいのでありがたく抱っこしたまま寝た。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。