2021.10.11(2-p.166)

意志、欲求、自制。注意経済から距離を取り、より豊かな世界の観察に向かうためにはこれらが必要なのだとジェニー・オデルは言う。「何もしない」は、過酷な抵抗の道なのだ。そんなことを学んだ今日一日、こんなことがあった。

朝からナディアを見ながら仕事をしていたら、ふと『会社員の哲学』について思いついたことがあってMacBook を開いてNotion に軽い気持ちでメモを取り始めたら過集中のスイッチが入ってしまって、そのまま四時間くらいノンストップで書き散らかしていた。昼食も労働もうっちゃって書くというのは流石に初めての事態で、自分の自制心のなさに驚く。しかし行為の最中はフロー状態にあり、メモだけのつもりが乱雑なフリーライティングに移行し、そのまま書かれた素材の整理と再配置、仕上げまで持っていってしまった。終えてどっと虚脱感に見舞われ、酔い覚ましにいつのまにか再生の止まっていたナディアを再開する。最後の二話が残っていたのでそのまま終劇を迎えたが、一個前の話の間は猛然と書いていたのだろう。さっぱり記憶になく、ぼんやりとしか筋が把握できていない。いつの間にか大変なことになっていた。それでも見返す気にはなれなくて、観たいものが溜まりすぎていた。

賃労働は今日のやるべき最低限だけ済ませてよしとした。GYAO でずっと観たかった『ゼイリブ』が配信されていて、こういうのはうっかり見逃すことが多いから早めに観てしまいたかった。ナディアを見直せない理由もここにあって、あとはYouTubeの「フェイクドキュメンタリーQ」も溜まっている。本も読みたかったし、『会社員の哲学』の仮組みとチェックのための印刷用データの作成もしたかった。多動に注意を拡散させており、気持ちばかり焦る。ジェニー・オデルは呆れるだろうな。

『ゼイリブ』は大変面白く、絵の格好良さもテンポのよさもたいへん痺れる端正さなのに、途中で友人との殴り合いのシーンが延々と続くところに妙なアンバランスさが宿っていて、一個人が居心地のいい日常を損ねてまで一歩を踏み出す決心をつけるにはこれだけの冗長さが必要なのだ、と納得するようだった。クライマックスのバトルシーンはやけにさっぱりしていて、余計に映画全体の中であのどこか間抜けな取っ組み合いの場面が光る。

僕は日課のエゴサの一つにTwitterでの「柿内 -kakisiesta」の検索があり、ノイズになりそうな柿内姓のアカウントはのきなみブロックしているのだが、ある柿内さんが炎上しているらしく、大変迷惑した。そんなことをツイートの下書きに書きはしたものの、ジェニー・オデルの顔がちらついて投稿はしないでおいた。いまのところ『何もしない』とは注意を払う対象をきちんと自分で選ぼう、という本であり、SNS での脊髄反射をやめてみるとか、そういうような提言が続く。それで僕は素直にiPhoneを見る時間を減らし、MacBookとiPadにかじりついて執筆と映像に耽溺していたというわけだった。わかっている、そういうことじゃない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。