2021.10.26(2-p.166)

お試しのつもりで小部数お願いをした印刷会社の方から入稿データのゾッとするような不備を指摘され、ちゃんと見てくれるところで助かった、とありがたく思いながら震えている。ZINE版の『プルーストを読む生活』の二巻は、格安ではあるがチェックは特にしてくれないところに依頼してしまい、塗り足し不足で痛い目にあった。今回は前回よりも安いくらいなのだが、それは前回が文庫サイズで400ページ越えという形で、そうした規格に対応しているところが少なかったからで、今回はわりあいスタンダードなので安くていいところがあるのだ。印刷は、取り返しつかないからめっちゃ怖い、と改めて思う。慌ててデータの修正を行うと、一箇所いじるだけで色々ズレたり気になったりしてドツボに嵌りそうになる。季節の変わり目で自律神経は乱れやすく、過集中や多動が発動しやすいから、もともと苦手な校正や書類作成なんかの処理能力が著しく低下する。もっと落ち着いて制作したい。しかし本を作ろうとか売ろうとか思いつくのは過集中や多動だからこそなのだ。僕はソワソワ注意力散漫に動き回らずにはいられないときにしか何かを作りだせない。ほんとうはDIYに向いてないのだろう。特に本なんかの、入稿してしまうともう取り返しがつかない、という一回性は、とりあえずやってみながら考える、都度修正する、という僕の性分からするとかなり相性が悪いのだ。この日記だって公開してから誤字を修正しない日の方が少ない。本にする場合、文字だけ書いて、あとは誰かに任せたほうがずっといい。しかし自分でいちいち全部やるからこそ、普段は目を背けようと思えばできなくはない自身の無能さと向き合えるというところもある。賃労働で自分の無能で迷惑をかけるのは特になんとも思わないが、自分で勝手にやっていることで自分の杜撰さやがさつさで誰かに面倒をかけるとだいぶ堪える。しかし相手にとって僕のような粗忽に付き合うのは賃労働なのだと思える場合、面倒をかけることこそがひとつの客の作法でもあって、あまりうじうじするものでもないと思い直しもする。しかしそうならば金払いは気持ちがいい方がいい。

そうも落ち着かず何もうまくいかない。一回落ち着こうと散歩がてら近所のラーメン屋に来ると妙に聴き覚えのある変な歌をキョンキョンが歌っている。なんだ、と思うが、サビであれだとわかる。「潮騒のメモリー」だ。次はKinKi Kidsの「Anniversary」だ。さらに十年くらい遡った。久しぶりにラーメン屋に来たがこれが懐メロというやつか。いまだに高校生のころ下校の途中で友人たちと寄ったまねきねこで歌っていたような曲が最近の曲のような感覚がある。このようにして人はいつまでも老いたことを自覚できない。新しい曲がわからなくなるのではない。昔の鮮明さがいつまでも色褪せないということに驚くこともなく受け入れてしまうからいつまでも何年も前の曲がよそよそしい。

『心霊玉手匣』の三作目と四作目をニコニコ動画の有料チャンネルに登録して観る。それからGYAO! で『constellation』を観る。このシリーズ、大傑作じゃん。『心霊マスターテープ』に始まり『コワすぎ!』を経由して『心霊玉手匣』に辿り着いて、心霊ドキュメンタリーとは『水曜どうでしょう』の方法で撮るSFなのだ、という一旦の結論を得た。岩澤宏樹監督は低予算でクリストファー・ノーランみたいなことを、クリストファー・ノーランよりも面白くやり遂げてる。これは『インターステラー』だ。しかし低予算だからいいというわけではない。岩澤監督にノーランと同額渡したら絶対に『インターステラー』よりいいものを撮ってくれる。だからそこはこの国の貧しさを嘆くべきところで、低予算だからこその工夫とかふざけたことを言う奴は僕は好きではない。『ハイキュー!』の日常パートとか、ニッペグとか、ああいうのが好きな人におすすめしたい。アシスタントがおっさんなのがいいんだよな。撮る側は男性で、撮られるアシスタントは女性、と言う構図が僕は割とキツくて、それを逆手に取るのが『心霊マスターテープ』だが、『心霊玉手匣』は基本おっさんたちが部活みたいなノリでわちゃわちゃしているのがメインで、僕はそれが観やすいらしい。確かにモロちゃんはいるのだが、『心霊玉手匣』で可愛いのは明らかに上園と唐澤だろう。

最近気がつくとGabriels ばかり聴いてる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。