2021.11.17(2-p.166)

当然の権利すら不当に損なわれているマイノリティに対して、特権的な立場にあるマジョリティの側からの身勝手な言動がなぜこうも絶えないのか、と考えている。それは「希少性」への恐れや妬みなのではないか。

個人個人をも需要と供給といった市場価値のものさしで判断しようとするグロテスクさは、自分よりも「希少」な存在への反感を誘発するのではないか。

「イケメン」とか「リア充」といったミームと同じような、自分にはない希少な属性を持っている人たちへのルサンチマン。その傲慢さは偏差の少なさこそが特権なのだという事実に対する盲目を生む。むしろ「俺たちの方こそ被害者だ」みたいなおぞましい自己憐憫さえあるかもしれない。

偏差が少ない方が平等でいい社会だとして、あらゆる個人の固有性を尊重するなら基準値との偏差にバラつきが出るのは当然で、そうした偏差を最小化するための基準の見直しや、偏差の大きい人への補助なんかが必要だよねという話なのに、「あいつらだけ沢山構ってもらえてズルい」みたいに言われても……

学校で先生は「やんちゃな子」ばかり構っていてまじめに大人しく勉強してる自分は放っていかれる、みたいな幼稚な不満とどこか同根なのかもしれない。

僕のような既存の基準値にわりあい近いところにあれる人たちは構ってもらえなくていいんです。

以上、今朝のツイートの引き写し。オムラヂを聴きながらあんまり内容と関係なく考えたこと。

今日は新宿なので昼休みに東急ハンズに出掛けてTokyo Book Parkを見物に。昭和の『異常論文』、全冷中の『空飛ぶ冷やし中華』というのを見つけて購入。異常論文とは、令和の全冷中なのかもしれないな、と思う。当時の洒落は今となってはあんまり面白くないかもしれないが、知性や人脈の無駄遣いが僕は好きだ。豪快な遊びは気持ちがいい。あとはアメリカの都市伝説について考えたくて『消えるヒッチハイカー』も買う。都市伝説はまたいま僕が主に関心を持つ実話怪談とは別の世界のようなのだけど、海外における実話怪談と都市伝説の差異というのはどれほどなのだろう。広大な土地、放浪の人、そこで口承されるもの。

仕事終わり、自由が丘まで出て、このまま行くと一時間は早く着いてしまう。全く知らない土地だし、こっから歩いてみるか、と中延までオムラヂを聴きながらどんどこ歩いた。坂の多い地域で、坂の上には豪邸ばかり。『パラサイト』を思い出す。そもそもこの大井町線沿線というのは金持ちの住むところという感じがとても強い。ナントカという医大があって、そこに駆け込んでいく白衣の学生がいて、白衣の医大生を始めてみた。一時間は歩いた。すこし汗をかく。きょうは一万六千歩。隣町珈琲についてビールを頼み、開演前に簡単に青木さんと挨拶ができた。平川さんとの対談で、面白く、ビールを飲む前にもトイレを済ませておいたのだけどそれでも膀胱が限界で途中一度離席してしまった。こういうとき最前列だと恥ずかしい。マイクの音量は十分だったのでトイレの中でもお二人の話は聴こえたのでよかった。青木さんは三〇以上も上の世代と多彩な話題で盛り上がれるからやはりただものではないな、と感心する。僕はやはり寅さんが当時どう受け取られていたのかという話が面白い。博は吉本隆明だったんだな。

イベント終わり、さくっと退出。それでも帰ると22時半。中延は遠い。東吉野や名古屋ほどではないけれど。改めて青木さんのバイタリティを思う。なんであんなに動けてしまうのだろう。すごいな。奥さんはさっき仕事を上がったところだといい、一緒に夕食を食べる。最近の奥さんはずっと山場が続いていて、あとひと踏ん張りの様子。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。