2020.12.02(1-p.365)

あさ、見事に乗り損ねた電車のおしりを見送りながら、夕書房のホームページで『したてやのサーカス』をポチる。

昼休みに本を浴びたくなって駅前の大きな書店に入る。ぐるぐると背表紙浴をして出るつもりが、むらむらとしてきて、けっきょく買ってしまう。トートも何も持たず出てしまったので、三冊をむんずと掴んで店を出た。なんだか野蛮な感じがして楽しい。黒鳥社の新刊『プライバシー・パラドックス』、ミシマ社の『ちゃぶ台』の新刊。個人でなく、いやその先にいるのは個人なのだが、書き手でなくどこが出してるかで買う、みたいなことをよくする日だった。ふと目に入った『〈責任〉の生成』も買った。中動態の世界について、もっと考えたかったから。ひとりでできることよりも、誰かとのおしゃべりに今は触れていたいようで、それはたぶんようやく図書館で順番がまわってきて読んでいる『未来への大分岐』にいまいちノれてないストレスもありそうで、みんなそれぞれは面白い話をしてるんだけど、どうも聴き手の信条ありきでディレクションされすぎているような気がして白けてしまうところがあるようだった。

もっと開けた雑談が聴きたい、そう思っているようだった。それでいまはポッドキャストだった。今日は「はたらくことの人類学」。自由と依存はトレードオフではなく、相互依存は自由の前提なのではないか、みたいな話にうんうん、と頷く。つづけてオムラヂ。黒ジャコ回はだいたい光嶋さんの発言にモヤモヤして、イシュマールさんや神吉さんの発言に頷く、ということが多くて、僕はわりと光嶋さんの本を読む態度が苦手というかはっきりと嫌いなようだった。そういう苦手さが異物のようにゴロンとありつつも、それが肯定されすぎることも否定されすぎることもなく流れていくところに、雑談のよさがあるように思う。自分にとって気持ちのいいものだけを食べていたいが、それだけではよくなさそうな気もする、そんな時、ちょっとイラっとする人との雑談というのは、ちょうどいい実践かもしれない。雑談のなかで、光嶋さんのように自分の偏りをさらりと認めて分析してみせたりもできる人も、そう少なくはないはずだと僕は思っている。話せばわかるとは思わないが、話さないと始まらない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。