2022.04.20

いかによくわからん馬の骨のままでいられるかだ。

僕はつねづね会社員だとか素人を名乗っているが、それはとにかく自分をなにかそれらしいものと勘違いしないための方策でもある。自分をわかりやすくパッケージングして売り出す誘惑はいつだって強いものだが、僕はそのように自分を商品として世に放つ気はあんまりなくて、ただなんとなく楽しそうなことをやり続けられればそれでいい。社会や世に出ていってヤアヤアと名乗りを上げたくない。きょうび本を出したりポッドキャストを配信するくらいでは社会的な肩書きを付与されはしない、という現状理解のうえに僕の日々の行為は成り立っている。けれどもそうやって色々と試していると、うっかり自分の側ではなく、あてもなく投げかけている向こう側に主語を明け渡してしまいそうになることがある。特に新刊を売り出そうとするときは、馬の骨よりも何者かが出す本の方が営業がしやすいから簡単に誘惑に負ける。けれどももともとは馬の骨の仕事な訳であって、馬の骨の出す本だからなにやら怪しげで面白そうだというのが僕の本のいいところなのだから、安易に何者かのようになってはいけないというか、むしろ得体のしれなさ、ただの素人であることを前面に打ち出すべきだ。ここでさらに気をつけるべきは、馬の骨であること、素人であることを謙虚にかつ不遜に表明するということで、素人のくせにただでかい顔をしていたらただのバカだし、かといって素人であることを過剰に卑下するのもあまりに卑屈だ。ただ、なんてことない自分をなんてことなく差し出してみること。その塩梅は難しい。特に出す本が積み重なってくると、その蓄積自体がなにやらなにものかに見えてしまう。

何が言いたいかというと、最近の僕はどうも自分をなにものかのように勘違いしてやしないかということだ。すこし調子に乗っているというか、調子に乗ること自体は僕らしさの核にあるものだからいいのだけれど、どうもちょっと社会性を持ちすぎた調子に乗ってしまったというか、そんな感じがある。どうにか自分にとっていい感じの落ち着きどころを見出していかないとだな、と考えている。大したことなさを取り戻すというか、大したことないことを大したことないままにしておく態度を意識的に保つ必要がある。

今日は寒暖差の酷さにめそめそしていた。というか具体的にポンコツだった。寒すぎる。なんも捗らん。だからまた新刊の宣伝動画を作った。まじでこういう無駄なことだったらすごいスピードでやってのけてしまう。しかしこれは、実際になんか効果があるとでも思っているのか?

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。