今日は思い立って国立に行くことにした。国立というのは国分寺と立川の間という意味なんだよ、と奥さんが教えてくれた。あたらしい町だ。納品の本をリュックに詰めて、出発。電車の中で「国立」で検索すると、「こくりつ」の施設に詳しくなるようだった。
まずはmuseum shop T へ。納品も兼ねての訪問だったのだけれど、納品や展示の対応で忙しそうだったので、声をかけそびれて棚を見始めてしまい、そのままいつものように棚の前でうろうろしていた。こういうとき、まず挨拶するのがいいのはわかっているのに、なかなか実現できない。どうしてもまず棚めがけて突っ込んでしまう。よくないですね。松下竜一と植草甚一の文庫をレジに持って行って、名乗って納品。近辺のお店を教えてもらう。展示は団地を描いた連作で、生活感の感じられないその団地は団地自体が有機的な何かのように息づいて見える。
それから谷保に向かう。住宅街を歩いて行く。なんとも懐かしい、人の住むところという感じだ。いくつもの学校の横を歩き、いくつかの団地を抜けていく。そうか、あの絵の団地の浮世離れした感じの正体がわかる。あの団地にはベランダがなくて、そのまま窓が外へと向いていたのだ。あるいは廊下側から見た絵だったのかもしれないが、廊下側の窓はあんなに室内を見通せるようなものではない。そういった大胆な嘘をついていてなお団地だと感じさせる団地の要件とはなんだろうか、と考える。敷地内には「談話室」ののぼりが立っていて、ちょうど一人中に入っていくところだった。談話が始まるのだろう。
書肆海と夕焼に辿り着く。『うろん紀行』のフェアを楽しく眺めて、洛北出版の充実にはしゃいだ。『立身出世と下半身』を選び取る。奥側は小鳥書房。妖怪の本が充実しているとのことでわくわくする。吉田悠軌『現代怪談考』と安井眞奈美『狙われた身体 病と妖怪とジェンダー』を買うことに。レジで落合さんに妖怪お好きなんですかと声をかけていただく。はい!と楽しくお話をして、「怪と幽」の編集をなさっているとのことで、妖怪のプロじゃん、とうきうきする。もっと妖怪のことを教えてもらいたいな、と思いつつ、新刊はゾンビなんですよ、という話をしておく。落合さんにせっかくここまで来たのならマルジナリア書房さんにも是非、とのことで、盲点だった。これは是非行かねば、と思う。その前に腹ごしらえだ。教えていただいた韓国料理屋さんに向かう。現金のみっぽい、お金を下ろしてから来ようとまずは谷保駅前のセブンに行く。奥さんから頼まれている払い込みと発券も済ませたかった。けれどもここで悲劇を自覚する。メインの財布を忘れた。納品のために普段のリュックと別のもので出かけていて、中身を入れ替えそびれたのだ。馴染みのない土地で、現金もキャッシュカードも充電器もない。なんてことだろう。
Suica はあるはずなのに、なぜか電車に乗らず歩かなきゃ、という気分になる。ひとまずマルジナリア書店ではクレカが使えますようにと祈りながら線路沿いを歩き、じきにいい庭の広々とした平家と畑のあいだを抜けて甲州街道へ。懐かしのロードサイドの風景を歩く。自分の人生はこうした風景と共にあるものだと考えていたというか予感していたな、と思う。今となっては自動車の運転など恐怖でしかない。埼玉の駅前育ちの奥さんは、車社会をほんとうに知らない。そして今や僕も。免許証を取ってから、車社会の主体であったことがない。大きな交差点の大味の看板たち。バーミヤンまで1.2キロ。携帯の充電は42パーセント。だんだんと道を挟み込むのが駐車場を広く構えた店舗から、マンションへと変わっていく。おそらく西府の駅を越えたあたりなのだろう。さっきのびっくりドンキーに決めておけばよかったかも、と思う。手前に歩道のほうに突き出すようにここからは府中なのだと示す標識があって、あれを裏から見たら国立だったのだろうか、ちゃんと確かめておけばよかった。なんだろうな、このあたりは橋本のあたりとよく似ている。桜美林の友人のところへ遊びに行ったことを思い出す。僕の魂のようなものは、こういった大雑把なロードサイドにこそあるのだろうなと納得するような風景。気がつけば通りにはイチョウの木が退屈に並ぶ。すっかり人の住むところだ。お腹、空いたな。さみしくなってくる。僕の人生はこれでよかったのだろうか。もちろんここでいう人生とは、十分な現金もキャッシュカードも充電器も持たずに家を出た今日の人生のことだ。せっかくの遠出に、大きな制約がついてしまった。間違えてしまった。もう取り返しがつかないという感覚。空腹だ。
分倍河原の駅の近くに辿り着いて、なんとなく白楽を思い出す。今日はやけに神奈川を懐かしんでいる。現金でなくても食べさせてもらえそうなのは松屋かマクドナルドだ。かなり悩んで、マクドナルドにする。バーガーを食べつつ、斜向かいのテーブルで老人に契約内容を説明するグレースーツの女性の声に耳をすませていた。こんなところで契約なんて、詐欺かと思ったのだ。けれどもそれはどうやら雇用契約のようで、どこかの介護施設に派遣されるらしい。老人は老人とはいえまだ背中も伸びてぴんしゃんしていた。だから施設では老人ではないのかもしれない。ここからは、注意事項なんですけど、書類の確認を終えたグレースーツが言う。施設によってやり方って違うので、むしろ経験者って敬遠されがちなんです、だから、前はこうだったとかは言わない方がいいですね、施設の方針に従って、まずは初心者という気持ちで入っていただいた方がいいです。おそらく倍くらい年齢の違う相手の経験を疎んじるような発言にぎょっとしつつ、こうやって相手の背景をはなから厄介なものとして扱う態度を誘発してしまう仕事っていったいなんなんだろうな、と思う。
そのままマクドナルドの建物の三階へ。マルジナリア書店は『プルーストを読む生活』の販売時に取り上げてくださっていたお店でいつか訪問したかった。地理が全然わかっていなかったので、小鳥書房で教えてもらわなかったら今日来れていない。嬉しいな、と思いながら扉を開けるとラジオの収録がなされていて、あれ、これって入っていいのか、と焦る。入ってよさそうだったので棚を見て、収録はすぐに終わるところだった。しばらくラジオのスタッフさんたちが慌ただしい声音と収録を終えたことによる弛緩した空気とを纏ってお店を行き来していたので、この様子だとカフェは無理かなあ、と残念に思う。ひとまず本を、と思いふと目に留まったグアダルーペ・ネッテルと、レジ前の『tattva』の最新号を買い、コーヒーもお願いする。カフェスペースは使わせてもらえそうだったので、席を確保するとスタッフさんたちは撤収していった。せっかくなのでデニッシュもいただいて、しばらく本を読んで過ごす。晴れたら富士山も見えるらしい。食べ終えてご挨拶。今日はとにかく挨拶が遅れる日だ。その場でZINE をご注文いただける。この軽やかさ、格好いい。『プルーストを読む生活』はちょうど切らしてて、またHABちゃんに追加してもらいます、と言う、そのHABちゃんという言い方がとてもいい感じだった。
二時間近くかけて家に帰る。この二ヶ月くらいゆっくりと読んでいた『精霊に捕まって倒れる』を読み終える。思わず涙が出てきて、わ、と困る。電車でこうやって感極まるのは久しぶりだ。マクドナルドで軽んじられた他者の唯一性みたいなものが響いてしまっている感じがある。画一的な方針にとってみれば異様で不合理でしかない個々人の差異。それを合理で切り捨ててしまえることのおそろしさ。
コンビニでクリックポストの印刷とレターパックを買い、払い込みと発券も終えることができた。充電はあと5パーセント。あぶなかった。予約番号も、プリントも、電池がなければどうにもならなかった。
よく歩いたな。帰宅してからはトーマスを観ながら日記を書いていた。幼児の僕はゴードンとハット卿が好きだったはずなのだが、こんな奴らをなぜ好きになったのだろうか、というくらい二人とも嫌なやつだったので驚いた。
母をおんぶしたら軽くて泣いちゃった、みたいな歌があることを、カントリーマアムを買うたびに思い出す。