本を作って売って、直接納品に伺ったお店では売ったお金の分だけ本を買って帰る。そういうことをしていたら、売ったお金は本に化けて、作るためのお金は出っ放しなので、不思議とお金は減っていく。家計やクレジットカード会社などへの支払いを終えると、給料日には個人の銀行の残高が数千円だった。おののいた。数千円の通帳は、入社一年目の夏、奨学金返済が始まったとき以来かもしれない。いや、あの時は数百円までいってATMで引き出せなかったからそれよりはマシだ。連休中にどこかにふらっと出かけるつもりだったが、これではどこにも行けないではないか。そうしょげていたら、郵送した各書店からの払い込みが続々とやってきて、数万円の余裕ができた。これは本を作るのにかかったお金を考えると、利益というよりも回収の範囲なのだけど、気分としては臨時収入だ。やったぞ、これで遊べる。そう思ってしまうし、それでまた来月数千円の残高を見るはめになったとしても、もう一回見たものであるからそんなに怖くない。小遣い稼ぎとして考えると本作りというのは割に合わないが、せめて本を作って売っていくお金で、制作費と送料などの諸経費に合わせて、行く先々で本を買うお金までまかなえるように設計しないとちょっと続けていけないな、といまさら気がつく。もうすこし、僕の儲けを考えた設計をしないといけない。そしてその儲けをすべて気持ちよく本屋に返していきたい。そうしないと納品時に本を買うお金がないから本屋に行けないという本末転倒なことになりそうだ。
久しぶりに奥さんとお気に入りの居酒屋に飲みに出掛けて、ウィル・スミスについてかなりの熱量で語り合った。最終的に僕はほとんど涙ぐみながら『グリーン・ブック』に賞を与えるアカデミーはクソだ、今回の『コーダ』に捧げられた静かな拍手はとても美しかったからこそ、その美しさを記憶から薄れさせてしまったウィル・スミスもダメだ、と話していた。奥さんとしてはスタッフ賞の軽視がなによりも許しがたく、それも全くその通りだった。あと雑談の副産物として今のFGOイベントのバニヤンはアメリカの嫌なところの煮凝りみたいなキャラクターで、だからこそなんも面白くないんだなという納得があった。隣の席の後輩くんが不憫だった。憧れの先輩とのデートだと思ってプレゼントまで用意したのに先輩の同期を呼ばれて三者面談みたいになっていて、二人で勝手に同情してしまったが、そもそもこの見立て自体が酔っ払いの戯言の可能性もある。酔っ払った僕は、怪談師になりたい! 怪談師はエロい! と喚き立てていた。ぺろんぺろんなのでもうだめです。