2020.12.28(1-p.365)

習慣というのはやらないでおくと気持ちがわるいものだが、それでもやらないで済ませる日というのはある。マルクスだって今月は1ページも読んでいないがそれでも僕はやはりマルクスは毎日読んでいるのであって、何を読んでいてもマルクスがどこかで参照されている。日記も昨日一日書かなかったからと言って書かなかったことにはならない。生活の全ての出来事に対して記述されうるという可能性が付与されること。それが日記を書くということであるならば、じっさいに書かれようが書かれまいがその日一日は日記の予感に満たされているのであって、それでもう十分なのではないか。もちろん十分ではない。しかし何かが書かれるということは何かが書かれなかったということで、記述の規定には記述されなかったものが谺のように響き続けている。

 

三〇を過ぎたあたりで つまらねえ大人へと

 

仕事がつまらな過ぎて、業務中ずっと「オトナノススメ」のこの一節がリフレインしていた。それで帰り道にAppleMusic で検索して再生すると35周年バージョンということで怒髪天は出てこないでやたら豪華そうな面々が歌うやつで、なんだこれ、とYouTube で映像付きのものを見つけてくると耳で判別がつく以上に豪華なメンバーで笑えた。コメント欄に「生前葬」とあってそれも頷ける祝祭感。祝祭はすぎると葬式になる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。