昼まで寝る。奥さんは頭が痛くてよく寝れなかったとのことで、頭痛薬を飲みに一度出てから戻ってきて、さっそくスウスウ寝息を立て始めた。起こさないように頭から布団をかぶってiPhone のライトをつけて『サラムボー』を読む。布に覆われて、そのなかの小さな空間にだけ明かりがある、そういうのが子供の頃から妙に好きで、スパイク・ジョーンズの『かいじゅうたちのいるところ』は話は正直ないに等しいのだけど、終始この布団の中に自分だけの空間を作り出していくような懐かしさに溢れた映画で妙に好きだったなあ、みたいなことを思い出す。手元ではめっちゃ人が死んでく。
十四時ごろいい加減にして起き出して、『静温な日々』。灼熱のフローベール、極寒の小島信夫。交互浴はサウナと水風呂だけではだめで、休憩が必要になる。休憩スペースは『生活の発見』だった。「家族」だけで終わらせるつもりが「感情移入」まで読む。こういう僕の中の高校生が感化されるような本はいい。整、いはしない。いや、整っているのかもしれない。
同居人は朝からおせち作りに励んでいる。家で誰かがはりきっていると、僕も何か生産的なことをしなくちゃとすこし焦るが、特に何もせずに交互浴に励んでいた。奥さんはちょっと手伝ったらしい。夜になって卵が切れたとのことで、スーパーに買い出しに行くよ、と奥さんに散歩に連れて行ってもらう。奥さんは今朝から具合が悪そうで、遊んでもらえなさそうだったから大人しくずっと本を読んでいたが、おでかけできるとなると思っているより嬉しかったらしくうきうきした。奥さんは散歩にはしゃぐ犬を見るような目で僕を見た。念のため補足するがそれは蔑みではない。よかったねえ、みたいなやつだ。
近所の酒屋でお酒を買って、いくつかのスーパーの営業再開日をチェックして、大体みんな三ヶ日は休むみたいで、いいことだと思う。年の瀬をあまり意識していなかったし、意識しないで済むかと思ったけれど、じっさいにお店が閉まっていくと年の瀬を感じてしまうよね、と奥さんはなぜだか非常に残念そうに言った。
同居人が天ぷらを揚げてくれて年越し蕎麦をたらふく食べる。
それでいま、テレビを消音にしながらFGO の特番を流しつつ、YouTube で「本屋ゆく年くる年」を見ながら、これを書いている。いま黒田さんたちが出てきて、わっ黒田さんたちだ! と奥さんとニコニコする。お二人でひざにあったかそうなタオルをかけていて、僕たちとお揃いだねえと言い合う。
年が改まるありがたさは相変わらずピンとこないし、この気持ちばかりがそわそわする大晦日というのはやはり好きにはなれないが、今年はかなり来年が楽しみで、何が楽しみかってFGO は新年に福袋のような形でお祭り騒ぎの大盤振る舞いがあるらしいのだ。ネロはピックアップされるかなあ、とワクワクしている僕を横目に、ネロはすでに最初の頃にめちゃくちゃピックアップされてたし、もう飽きられちゃってるからなあ、と呟くので、なんてこと言うんだ、と憤慨した。