朝起き上がれないのは変わらないのだが、前までは無気力ゆえに起き上がれなかったのが、いまは猛烈な眠気で起きれなくて、問題の所在が心から体に移行した感じがある。この移行が回復への前進なのか後退なのか、実感としては前進で、しかし結局は体の不調であると判明したとして、疲れの抜けなさは困りもので、どうしたらいいのかわからないのは変わらない。ただ、困る心が弱っているとそもそも困れないので、困れているだけ元気だともいえる。心身ともに元気じゃないと失望というのもできないもので、そもそも疲れていると望みを抱くということをしなくなるよな、とわかってくる。老いは諦念を連れてくるのではなく、期待すること自体が減っていくから諦めに至ることも少なくなっていくのかもしれない。欲張りな年寄りというのはすごい。がっかりしたり困ったり、怒ったりするためには、元気がいる。元気がないのに気がつくためにも元気がいる。元気がないとなんにもできない。
動き出せばしゃきっとしてくるというわけでもなく、日中もずっと眠たかった。一年のうち300日は調子悪いんだから、不調でもどうにかできるくらいのことを自分のキャパだと考えるほうがいいのだ。これは何度も忘れるから何度も思い出すべきことだ。絶好調のときのパフォーマンスを実力と考えてはいけない。
疲れで判断力が鈍っており、いま膀胱との強い緊張を感じながら駅から自宅までの道を歩いている。振り上げた片足が地面に着地するたび、下腹部に液体の震えを実感する。