どの時代も「スピリチュアリティ」がめざすところをみずから再発明しなくてはならない(スピリチュアリティ=人間の生に内在する苦しい構造的矛盾を解決し、人間意識の完成、つまりは超越をめざすための計画、用語、観念。)
スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』管啓次郎+波戸岡景太訳(河出書房新社) p.9
のっけから格好いい。蟹ブックスでこの本を手に取ったその日、今晩の反解釈のチケットを買った。
(…)「アート」が存在しはじめたそのとき、芸術の近現代がはじまった。以来、そこに含まれたすべての活動は深く問題的な活動となり、そのすべての手段、ついにはその存在権さえ、疑問に付されうるものとなった。
同書 p.10
電車を降りると早稲田だった。カフェゴトーのケーキが食べたくなったのだ。チョコタルトと杏のフラン、シナモンミルクティーという鉄板のオーダー。ブランチのつもりだったのだが、お腹が空いてしまった。相談して神楽坂まで歩くことに。南門通りを辿りながら録音。お悩み相談のていで社会性の塩梅について探ろうと思ったのだけれど、神楽坂の人通りやスピーカーから流れるお囃子に意識を引っ張られてしまってうまく話せず没に。Le Bretagne でガレットとクレープのランチ。辛口のシードルと、梨のお酒をお供においしくいただく。店内の騒がしさにくじけそうになったり、そもそも僕がガレットというものを小馬鹿にしていたりと不安要素も多かったのだけど、たいへんいいお店で、ガレットを見直す結果となる。
箪笥町、曙橋を経由して新宿まで一時間ほどのお散歩。そのあいだに録音をして、どの時代も「スピリチュアリティ」がめざすところをみずから再発明しなくてはならないということを一生懸命に話した。途中からは見知らぬ団地のベンチに腰掛けていた。録り終えて歩き出し、新宿に着く頃にはへとへとだった。無印のカフェで冷たいものを飲みながら休憩。
旧コマ劇前は相変わらず不穏。奥さんと別れてライブハウスに。丸一日デートしたあと、夜だけ別行動というのは寂しいもので、ひとりで地下に降りていくのがすこし心細く、もっと奥さんといたいと思われた。景気付けにビールを煽り、上手前方に陣取る。ラディカルな意志のスタイルズ。スピーカーの目の前だったこともあり、ポリリズムが下腹部から胸部まで震わせてくるので不整脈かと錯覚しかける。ベースがとてもいい。fkA (Franz kafka’s Amerika)が聴けたのも嬉しかった。二時間半ほとんど休みなしで、踊り疲れたし、腰が痛い。ビジュアルも最高だったので、物販で思い切ってイヤーカフを注文しちゃう。内腿に蓄積した疲労を感じながら帰宅。ご飯をもりもり食べてお風呂にゆっくり浸かる。