2021.01.29(2-p.16)

悪夢四本立てで明け方四時から一時間ごとに目が覚める。犬が死に、猫が死んだ。そんなの映画でも見てられないのに。でもきのうは限界すぎて22時前には寝ていたから元気。すっかり晴れていい天気。奥さんは気圧の上昇に弱いので、カーッと晴れるとカーッとなる……、としんどそうだったけど、僕は元気。奥さんは土曜日から家を出ていないので昼休みに散歩に誘い出して近所にできたらしいカフェをのぞくと看板もなく、ガラス戸の結露もすごいことになっていてそもそもお店であるかどうかもわからないくらいだったので諦めて、お気に入りのパン屋さんに行ってパンを買った。おいしいおいしい言いながら食べて、寅さん流しながら仕事。仕事中の僕は今日もやなやつ。さんざん感じの悪い電話を対応しまくったあと、僕ってやなやつだよね、と奥さんに訊いたら、私と結婚したからいっそうやなやつになったのかも、と言う。そう言われてみると奥さんも僕と結婚してやなやつになったというか、社会的に──しかし奥さんに言わせればいったい社会などどこにあるのだろう──困ったやつなところは確かにあって、しかし僕が別に気にしないからそういう部分が増長している可能性は大いにある。僕もそのような感じで、自分のいやなところというか少なくない人の反感を買いそうな部分を矯正することなく野放しにしているのだろう。そういえば入社したてのころはボロカスに虐められたものだ。二年目で結婚したからそこで自尊心というか生活における心理的安全を回復できなかったらと思うと、やなやつのままでいられてよかったなあと思う。

もちろん賃労働に自己実現を求める人たちの切実さを揶揄したいわけでなく、僕は特に賃労働に友達作りや自己表現を全く求めてないな、ということに気がつけたことが救いになった。賃労働の場に自分の居場所や、死なないで済ませられそうな用事を得られたという人の経験はまちがいなく尊い。それと同じくらい、そうした肯定的なものを何一つ見出せないまま、ただ日々の糧のために労働力を切り売りする人たちも否定できないというか、僕がそうなので、賃労働に賃金以外のなにも見出せない人のことを僕は励ましたいというか励まされたいから賃労働なんて賃労働に過ぎないということをどんどん書いてしまう。賃労働の現場でどんなやなやつでも、賃労働の現場はべつに人格とか求められていないので、他の場所でちょっとましなやつであれたらいいよねって思うし、べつにやなやつがやなやつのままなんだかんだ要らない苦労なしに生きていける世の中はすごくいい世の中だと思う。誰も苦労しないのがいい。そんなことを思いながら100分溜まった「100分 de 名著」のマルクス回を。斎藤幸平のことを半ギレの人とか呼ぶのは失礼だと思うが聞くたびに拗ねたような語尾の伸ばしかたがどうしても気になってしまう。伊集院さんはちゃんと自分の立場に自覚的でそこから反応するからいいな、と思う。マルクスを読まなくちゃとは思わないが、やっぱり普通に面白い本だとは思うから読みたいなとは思う。そう思いながらもきょうも『グールド魚類画帖』。ほんとうに最悪で元気が出る。ゴアは映画は嫌いだが、文字で酷いことが続くのは楽しい。きょうは夜まで本を読まなかったから、夕食後本を読まなきゃ! と思ってちょっとのつもりで三〇分くらい読んで、読めてよかったな、と思う。こういうのが自分の健康の指標になる。奥さんは、きょうなんも面白くなかった、と零す。ソシャゲすらやってない、と言って、奥さんはそれが指標のひとつだった。しょぼついたまま、お風呂上がりに髪を乾かしているあいだに小鍋でミルクティーを沸かす。できあがって鏡越しに微笑むと奥さんもにっこりする。お茶飲みながら録り溜めてる「戦国炒飯」みよ、とソファに腰掛ける時、さっき鏡越しにあなたににっこりする自分の顔見て可愛い〜って思った、と奥さんが言う。自分で鏡の中の自分ににっこりするときよりもずっと可愛かった、そりゃあなたも私のこと可愛いって言うわ、となにか納得したようで、僕も普段は鏡を見てる時の僕とは違う顔をしているのだろうな、と思う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。