2023.11.24

労働を終えて電車に乗る。山手線は久しぶりで、混み具合に驚いた。『鵼の碑』はあと200ページほど。読み終えるのは無理かもしれない。蛙坂さんがあまりに構成の完成している小説は、何度読んでも同じところで同じことしか起きないからつらいと言っていて、この通りの言い方ではないが僕はこのような言い方として、よくわかる、と思った。よくできた構造物はそれ自体が必然めき、偶発的なヨレが生じる余白はないように感じることがある。京極夏彦のうまいところは、しかし多くはこのヨレによって実現されるグルーヴを、精緻な構造物そのものから産出してしまうところで、そのようなうねりをわれわれは妖怪などと呼んだりする。

池袋駅のガラの悪いほうを抜けたところ、シネマロサを過ぎて、コ本やがあったあたりで左折して侵入する住宅街にスタジオ空洞はある。奥さんは手刀に曖昧中毒のライブに行く、時間に余裕があるから劇場前までついてきてくれる。じゃあいってくるね、と階下へ。前を行くのはたぶん友田さんだ。客席に座り幕開けを待つ。開演前から会場の照明が断続的に消えたり点いたりするので、機材トラブルだろうかと訝るのだがそれにしては明滅のタイミングが出来すぎていて、おそらく不安を煽る演出であろうと判断する。上演が始まり、客電が落ちたとき、くすぐられ続けた暗がりへの恐れが掻き立てられるのだろうと予想して身構えておく。

そのくせ本編では客席を照らす明かりはほとんど点きっぱなしである。隣の客の手元はつねに視界の端にちらつき、われわれは俳優たちからも丸見えである。この芝居は、観客に安心して暗がりから覗き見るということを許してくれない。こちらも顔を晒しながら、素面で向き合わざるをえないようだ。気遣いをアフォードされる。

劇空間は横幅が広く取られている。これは王子で観た短編集からしてそうで、カハタレはとにかく天井が低く横に広い空間を平面的に使うのかもしれない。

くすくすと笑いがさざめくような塩梅で、かなりファニーでありながらどこかスベり続けているような可笑さが、うすた京介のようでもある。本筋はないに等しいというか、本筋は脱線のための口実にしかならない。この芝居はとにかく蛇行すること自体の快楽に満ち満ちている。で、なんの話だっけ。えっと、これなんの話?

ほとんど機能しえない中心の非在のぐるりで、言葉を用いてやりとりせざるを得ないがゆえに言葉尻から連想してしまう雑事に絡め取られいつしか本題が失効するというのは百鬼夜行シリーズの醍醐味でもある。この芝居は、むしろたっぷりとした余白や綻びによってその愉悦を醸し出している。

過去の短編「犬、呪わないで」や「月の世界」もそうであったけれど、稲垣和俊の戯曲は、ある夫妻の(非)緊張関係の描写が非常に巧みである。まだ顕在化はしていない、けれども確実にそこにある不和や破調。とくに「犬、呪わないで」で丹澤さんと南出さんが演じていた夫妻の感じがだいぶ好きだったので、今作でまたこの二人の夫妻を堪能できたのがかなり嬉しかった。しかも90分も!

終演後、図々しく皆さんとお話してから辞す。蛙坂さんもいて、京極の話をしないように気をつけた。これは明日の楽しみだから。

奥さんと合流して、千登利は店じまいだったので適当に神田屋に決めて雑でうまいものでお腹を満たした。その場で明日のソワレを予約するようにすすめる。これはぜひ観てほしい。家庭内で使えるワードがいくつもあるから。帰りは座れてごきげん。『鵼の碑』をちらちら読み、観劇メモをつくる。

家につくと日付を越していて、それでも風呂は沸かした。お風呂でメモを元に劇評を書き上げる。こういうのは公演期間中に出た方が嬉しいだろうと思うから、まずはラフに書き上げて稲垣さんに送る。書き足りない部分はまた改めて膨らませればいい。まずは速いこと。二時近かったはずなのにお返事があって、寝た方がいいよ、と自分を棚にあげて思った。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。