犬養道子『本 起源と役割をさぐる』は、青木さんの日誌で知ったのだったと思い出した。犬養道子はもともと香山哲の「ビルド選書」で知った『お嬢さん放浪記』がよかった。この新書は八〇代の犬養道子が書いた。すぐに脇道に逸れ、脱線に脱線を重ねるため、本の起源と役割をわかりやすくまとめられたものを読もうと思って手を出すとものすごく読みにくいが、よくわからない脱線の末に
観察し、驚いて、
犬養道子『本 起源と役割をさぐる』(岩波ジュニア新書) p.90
考えて、
やってみて、
成功までに年月をかけて、
成功して、
よろこぶ!
こういう一節によろこぶような人にはいい本だった。終盤になるとハリポタやケータイ小説への悪口があんまり冴えてなくてつまらないのだけど、強烈な祖父エピソードを引き合いに出しつつ、
さきほど、禁書・焚書・言論の自由(執筆の自由・分配の自由)統制の箇所で、「イデオロギー」という単語を使いました。イデオロギーはけっして「思想」ではないと、わたしは確信する者のひとりです。浅薄で流されやすいから。「思想」よりずっとたやすく、一〇〇万人でも一〇〇〇万人でも「引っ張って行くこと」ができるのです。
同書 p.158
こういうのや
そうです。よく知りもしないこと、ものごとの一面をざっと見ただけで、「世間の言うこと」を正しいと決めて「全体像がわかってしまう」と思いこむこと、「もういちど調べてみよう」としないこと──これらもまた、「読むこと、分けあうこと」への反逆かもしれません。いえ、たしかに反逆です。
同書 p.169-170
こういうのをさらっと言ってのけるのは、さすがだと思わされる。
昨晩前代未聞の危機を迎えた背中は、腹巻を胸巻きとして使って、その上で保冷剤で肩甲骨のあいだのとこを冷やしつつ、湿布をホラー映画に出てくる屋根裏部屋の護符のように背中にびっしり貼って安静にしたおかげでだいぶ持ち直した。すでに背中や腰を痛めたことのある奥さんの処置は完璧だった。奥さんが背中を痛めた時は僕はオロオロするばかりだったし、奥さんはダメ元で銭湯に行って余計に悪化させていたから、先行者というのは頼れる人がいなくて損だと思った。次に背中壊したときはテキパキと助けてあげるからね! と言うと、苦笑していた。そうなるよね。
昨日の夜から『史上最大の革命』を初めて、序文からわくわくしどおしだ。これは良いみすず。近代ドイツ史、というかプロイセン史を大学で学んでいた奥さんに、わくわくする箇所を読み聞かせていると、色々と思い出すようで、戦前のあのあたりのヨーロッパについて色々と話してくれる。でも、全然覚えてないや、とすこし残念そうで、けれども少し調べると色々と思い出すようだった。モルトケの話を嬉しそうにするのが面白かった。
