2021.02.12(2-p.16)

『Fate EXTRA』と『CCC』が駿河屋から届いた。駿河屋からは何度か遅れちゃってごめん、本当にごめん、みたいなメールが届いていたけれど、そんなに急がなくてもいいのに、と僕は思った。たしかにPSP の起動確認のために充電をしたのずいぶん前だったようにも思う。でも一週間くらいかかったほうがほっとする。翌日に届く方がおかしい。家からほとんど出ないと日付感覚がすぐに遠のく。今週は祝日もあって、家の中で僕だけが勤務日で、でもみんな家にはいるみたいなこともあって、余計にわからなくなってしまう。作業用BGMはシラスで購入した、『菊地成孔×荘子it×吉田雅史「ラップは文学なのか、小説はポップスなのか──タモリからケンドリック・ラマーまで』を流す。菊地成孔に敬意を示しながらも、ちゃんと言うことを言う荘子it の格好よさよ。ラップの話は僕はなんだか非常に面白い。面白いなあと聴いていた。なんか途中でタモリ倶楽部になったあたりで集中力がなくなったようでそのへんから話がよくわからなくなったが後で見返そう。それで仕事しつつシラス見つつ『史上最大の革命』読みつつPSP で遊びつつとやっていたら奥さんに、忙しいね、と言われる。やあやあ我こそはマルチタスクマン。

昼休みに散歩ついでに図書館に行く。奥さんはきょうはよく眠れなかったみたいで終始ふわふわしていた。僕もマルチタスクで生活能力及び返答瞬発力が著しく落ちていたので、やろうと思ったまま取り掛からないことが頻発したり、標準の定まらない声がうまく受け取られることのないまま中空に投げ放されたりした。こういうとき僕は本を読む場所の必要というか、本を読む時間と明確に決めた時間──それは僕にとっては通勤だったのだけど──の大事さを思う。こうしてずっと家にいると、漫然とずっと読めてしまう。しかし体はそこにあるのに自分の相手をしてもらえないというのはきっとかなりの欲求不満で、目の前に体はあるのに満足に応答されないというのは嫌だろう。いまさらだけれど、終始家にいるという状況での読書の時間の作り方をちゃんと考えるべきだ。なんだか最近は、この自粛というか自衛の時間が当たり前のようになってきたぶん、適応しきれない部分の軋みのようなものが出てくる時期だと思っていて、Twitter でも仕事上でも、先日の背中のコッ!!! のような、日々の小さな蓄積が大きなダメージとして噴出してしまう瞬間を何度も見たように思う。疲れている時に狭量でないよう気をつかうのは結構無理なのだけれども、せめていま自分にどれだけ余裕が残っているか、どれだけ余裕の総量を増やしていけそうか、そういうのには敏感でいたい。いまは本だけでなくポッドキャストなりFGO なりもあるから余計に、内にこもったりインプットに耽溺するのでないモードをどう保つかがかなり大事になってきている。放っておくと僕は際限なくなんか読んだり観たり聴いたりしてしまう。これは一種の中毒だ。

うれしいメールのやりとりがあって、うれしい、というか、これはありがたいなあ、と思う。背中の調子は上々だが、一日座りっぱなしだとどうしても肩が内側に入るみたいで、退勤後は肩甲骨のあたりが凝っているのを感じる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。