昨晩さすがに我慢できなくなって奥さんに前髪を切ってもらったから新妻エイジみたいになっている。
LISTEN でRyota さんが始めた声日記はタイトルを「そろそろ過去」といい、毎回日付を宣言した後に、そろそろ過去になりますが、と口上を述べて始まる。格好よすぎる。その日を振り返るという営為は、今日を過去にすることである。これが気障になりすぎないのもすごくて、さらっとしている。さらっとしつつドヤ顔も感じる。しかし隠し立てするわけでも誇示するわけでもないからいやらしさがない。
『日本語大博物館』を面白く読む。初出が一九九四年だという本書は日本語という厄介な言語にハードウェアの問題として取り組んだ先人たちの試行錯誤を描く。カナやローマ字によって非効率を乗り越えようとする国字論争、人工文字の発明、漢字廃止論、そして縦書きから横書きへの認識論的展開へと、国語の改良をめぐる近代史を概観することができる。技術問題としての日本語論としても読めるのだが、活版印刷、写真植字、謄写版、ワープロまでを網羅した記述の締めくくりが「聖書につぐ発行部数とされる」電話帳なのが面白い。今の感覚からすればワープロで締めた方がしっくりきそうなものであるが、「1億人のデータベース」だったそうで、そりゃあそうか、当時は文字入力とデータベースが分離していたというか、パーソナルなコンピュータに両者が統合されるイメージはまだ弱かったのかもしれない。そのような膨大な情報を集積しつつ検索性を高める方法が検討され、印刷上の最大の課題として外字に焦点を当てる。JIS規格外の漢字の問題は、いまもまだアクチュアルな課題である。考えれば考えるほど日本語の面倒くささが面白い。
伊藤忠商事の創業者が事務の効率化のために社内業務から漢字使用を廃止しカナ文字での文書制作を採用したという話にこれをLife の前に知っていたらなあ! と思う。