奥さんと共同制作していた2.5次元論をようやく書き上げる。細部を直しているとなぜか全体は長くなり、よりエモーショナルになっていく。面白いのは、いつも最後の最後に書き加えた部分こそがこの一連の論のサビであると思うところだ。言いたいことは、最後の最後にようやく出てくる。奥さんと話す時も、夜中まで延々と言葉を尽くし、へとへとになったころにようやくヘウレーカが訪れる。最終の点検をする奥さんが、読んでいて色々と明確になるものがあったし、最後はいよいよ致泣量に至ってちょっと泣いちゃったと教えてくれた。うれしい。言葉は蕩尽してはじめて機能する。なんでもかんでも言語化できるということはなく、なんでもかんでも語り尽くそうという野蛮な無茶の果てに発見されるなにものかのために濫用されるのが言葉というだけだ。この数日の日記が短いのは単に疲れているからだが、短いからこそ出る迫力というものがある。メールで納品した途端に体が軽くなって部屋の掃除やゴミ出しをてきぱき行う。なんでもできるぞ!と思う。