2024.04.25

一〇時前に起き出して、すぐさま打ち合わせの時間だったのでかるくコーヒーだけ飲んで準備。豆がなくなっていて粉のもの。はやく豆を買い足すべきだった。午前いっぱいZOOMで松井さんと中村さんとお話。三人で集まるのは『プルーストを読む生活』以来。それだけでどこかうきうきした気持ちになるものだった。何かを決めるという意識も希薄でただただ楽しく喋っていたつもりが、自ずと方向は定まっていくといういい塩梅。部屋のWi-Fiがまずく、リビングに移動する。背後に映る草を指摘され、ヒエロニムス・ボスだと紹介したが、テーブルに座っていた奥さんが怪訝な顔をする。考え直してみればボスは味噌で、草はブライアン・イーノだった。ボスとイーノを取り違えた。なぜか僕の画面だけたまに風船が飛んだ。先の楽しみがあるのはいいことだ。

図書館に本を返し、本を借り、ぽかぽか陽気だったのでパーカーから半袖に着替える。電車に乗って高円寺まで行く用事があるのだが、中央線で新宿よりも西側に出るのがいつだって妙に億劫だ。家を出るまでぐずぐずする。気合を入れすぎずうっかり家を出てしまったという体で歩き出す。まだ面倒臭い。だからこそ用事を入れるのだし、用事さえあれば面倒でも行くし、行けば楽しいのだから僕は用事に動かされているし面倒に楽しませてもらっている。電車に乗って『新たな距離』を開く頃には、せっかく向こうまで行くのならさらに足を伸ばして国分寺まで行ってしまおうと積極性が出てくる。国分寺は駅ビルに高級スーパーからパチンコまで揃っていて変だ。ずっと行きたかった早春書店に行くと、やはりいい棚で、じっくり眺める。新刊コーナーから『矢野利裕のLOST TAPES』、古本は小森陽一『構造としての語り』を抜いていく。古書として『会社員の哲学』が挿さっているのに気がついて嬉しくなる。ZINE に値付けがなされ店に出してもらえるというのは誉れだ。レジでコメカさんに話しかけ、そのまま話し込む。名乗るタイミングを間違え、最後の最後にバアと正体を明かす格好に。僕はよくこれをやらかすが、礼儀としては先に開示した方がいいと思う。どうにもまずはただの客として話に花を咲かせたいという欲望がある気がする。

高円寺のホームへ降りると、二車線隔てた向こうに見えるビル群の手前側の空隙へ、おそらく直下はロータリーなのであろうそこから、こちらの到来を驚いたのだと錯覚するほどぴったりのタイミングで白い鳩が何羽も飛びこんできて旋回する、高架下の飲み屋の軒先では明るいうちから深く飲んでいる様子の人々が頼もしく鎮座し、きょうはいい天気だもんね。屋根裏部屋へ向かう引き出し階段のようなところを登って二階に上がる。ヤンヤン。かなりいい空間で、向こうに回らないと店主と顔を合わせることもない。先ほどの反省を無視してまずは棚を見てしまう。都市を歩き作ること、日々の生活の知恵、制作、日常的な実践から空間をささやかに読み替え変容していく。そのために役立ちそうな本が充実しているようだった。『新しい小説のために』と『歴史・レトリック・立証』を持って城さんにご挨拶し、あれこれと相談。すぐちかくにそぞろ書房もあるとわかり、点滅社のところかと寄ることにする。アパートの引き戸を開けて二階に上がり、一室のドアノブを回した向こうというこれまた愉快な立地。何年か前に教えてもらって借りて読んだエンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』が目に留まって買うことに。きょう行った三軒でZINE の提案をした。直接の営業はずいぶん久しぶりで、緊張もしたし楽しく疲れた。本屋だけをめぐり、コーヒーなど嗜みたかったがまっすぐ帰宅した。ホタルイカと蕪の葉のパスタをつくって、昨晩の具だくさん味噌汁に牛乳を足してやや洋風に寄せた。シャワーを浴びて、『ゆるキャン△』を見る。三人が走り、歩き、食べる町は、去年奥さんが一人で歩き、食べた町で、奥さんの目には知っている風景として見えるであろうその景色を、なぜだか僕もくすぐったいような懐かしさを感じていた。おそらく、数年後には本当に見聞きした場所であるかのように思い出せるようになっているだろう。さらに数十年後には、幼いころ、何の花? と尋ねて、菜の花よ、と答えられたのを、鸚鵡返しにされたと勘違いして何度も何度も、ねえ、だから何の花! と癇癪を起こしたのだって僕のことのように覚えているかもしれない。どれだけ自分のものように感じられてもそれはやはり他人のもので、けれどもいつの間にか誰かの記憶を分け持っているということはないこともないのではないか。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。