2024.04.27

八時に目が覚める。横になったまま八時半になって、早起きできたら出かけてくるねと言っていた奥さんに声をかけると呻き声が返ってくる。からだはぽかぽかで起きそうにない。出かけることはないだろう。何度か声をかけてようやく返答が言葉になると、もう間に合わないじゃん、と言っていて、ふたりでそのままずいぶん長い間転がっていた。僕は今日は午前をドブに捨てますと宣言し、ベッドの上で無為に過ごした。だらだらとスマホをいじって、タブレットでアニメを観て、Kindleで漫画を読んでと暮らしていた。途中から少しだけまじめな気分になって『ニッポンの書評』から多くを学ぼうとする。時評は書評の範疇だろうか。限られた字数に対して倍書いて、余計な部分を削っていく作業をするとき、無駄な自我という贅肉が絞られていくようでスカッと気持ちがいい。だからこそ僕はその気持ちよさに抵抗するようにいかにくだらない脂身を残しておくかに心を砕いている。そのへん、豊﨑講師には叱られそうだ。

正午になったのでまともになる。午前中からまともだった奥さんが茹でた鶏を炒飯にのっけて出してくれる。おいしい。午後の過ごし方を相談して、僕はこの家の不用品を整理しようと決める。寝室から始めて自室まで、もはや用途不明のコード類や、思い入れも半端な紙ものなど、捨てそびれているだけのものを全部捨てていくつもりだった。結果として寝室だけで力尽きた。寝室には二人のうちどちらのものかもわからない謎のオブジェが散見され、けっこうやだった。まず服から始め、くたびれたものをどんどん捨てていく。次に棚や床や戸袋に放置された住所不定のものどもを精査していく。古い名刺は全部シュレッダー。職場の教材や寄せ書きもざっと目を通しつつシュレッダー、親類からの行事もののはがきも分類して例年どおりのものは鋏を入れて処分。結婚した際の手紙や寄せ書きは流石にとっておくが、祝儀袋は捨てる。手書きの文字を無慈悲に処理していくのはけっこう疲れる。手書きというのは軽い呪いだ。しかし、寄せられた祝福の言葉を読み返すと思うのだが、僕たちは今のほうが仲良しだし楽しいから、こうしたものを見ても輝かしい過去を懐かしむという感じにまったくならない。そのことを頼もしく思う。かつては芝居のアンケートを読み返して自尊感情を取り戻していたものだったが、過去にいただいた過分な言葉も、思い遣りに溢れた素晴らしい文句も、いまではあっさり忘れ果て、日々とりあえずそこそこのごきげんで暮らしている。改めて、信じ難いほどにすごいことである。一人では判断できないものを、最後にまとめて奥さんに確認してもらう。二十分作業して十分休憩のリズムで、けっきょく夜までかかって寝室だけが終わった。ずいぶんすっきりした。適度にうだうだして、夜はスーパーに買い物に出る。日が暮れてから、二人で近場を歩くのは好きだった。朝歩くのも好きだし、真昼に歩くのも好きだった。トマトとそうめん、お菓子を買う。夕食を手分けして作り、奥さんのこさえた胡瓜の白和えが絶品。

お風呂に入りながら雑誌で照明を眺める。猫のいる暮らしのイメージにも触れる。カーテンって嫌いだな。閉められているうちは可愛いこともあるけれど、昼間に束にされている時のたごまってる感じがみっともない。ロールカーテンの方がいいような気がしている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。