朝、コーヒーを淹れる前にカップを温めておこうかと思いつき、白湯を多めに入れて、先に薬を飲み、残りをそのままにしておいた。お湯が沸き、コーヒー豆を挽いて、丁寧に淹れる。今回は会心の出来かも、とまんざらでもなかったのだけれど、三分の一ほどでカップから溢れ出し、うわああ、とパニクる。さっきの白湯を流すの忘れてた! 泣く泣く淹れ直す。でも、さっきのほうが調子よくドリップできていた気がしてならない。
朝から労働の用事が混んでいて、楽しみがカビゴンに久しぶりに食べさせられるドリンク・デザート類のレシピ開拓くらいしかない。まだ作ったことのないものをリスト化して、食材管理している。
今日は珍しく、午前中からルドンが作業机に乗ってくる。ふだんであればパソコンのキーボードの上に居座ったりするのだけれど、人間がまだそこまで本腰を入れていないのがバレたのか、机上のフィジットトイに興味を示す。そしてハンドスピナーをちょちょいっと触ると回り出すのを発見した。回っているあいだ、じーっとそれを見つめ、勢いが弱まってくると左右の前足で交互にちょっかいをかけて回転具合を確かめていて、この猫もしかして天才なのかもしれない、と動画に撮って、一階の奥さんに送る。奥さんも、天才かも、と言っていたので、この天才を世に知らしめねば、とBlueSky やmixi2 で見せびらかす。五億人くらいに見られてもおかしくない。世界一有名な猫になるかもしれない。そうなっても取材とかは一切受けず、静かに穏やかに暮らしていきたいと思う。
忙しくて、眠くて、ぱっとしない一日。ずっとコーヒーが飲みたくて、朝の失敗を引きずっている。失われた至高の一杯への未練。夕飯を作っていると、換気扇はまわっていたのになぜか煙がもうもうと立ち込め火災報知器がピーヒャラ高い音で鳴り出してびっくり。
奥さんが食器を洗ってくれているあいだに、ちょっとだけカント。坂部入門書は批判書以前のカントの思想的模索を通時的に描き出す第二部がたいへん面白く、その記述がとうとう『視霊者の夢』に辿り着いたので、いったん中断して大元に取り掛かる。
多くの人々によって、多少の真理があるものとして語られた事柄を、何の根拠もないのに一切信じないのは、下品なもろもろの噂話を、何の吟味もせずにすべてを信じるのと同様ばかげた偏見である。(…)
カント『視霊者の夢』金森誠也訳(講談社学術文庫) p.23 強調部は傍点
人の話を聞く、もっとも実践的な態度とは話半分である。一切を否定するのも、すべてを肯定するのも、同様にばかげている。ある二つの対立する語り、世界観があるとして、そのどちらにもある程度の理があり、それと同程度に根拠がない。
気がつくと足を組んでいてよくないので、奥さんと骨盤矯正のエクササイズ。けっこうきつくて悲鳴を上げるが、よくなった気がする。