2021.03.29(2-p.53)

昨晩は大洗に行くか、と思っていたのだけど、流石に遠くて日帰りだともったいない感じがした。往復の料金もけっこうするので怯んでしまった。どうしようかなあ、と『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』をぱらぱらよんでいたのだけど、そこに葛飾、と出てきて、柴又だ! と気がついた。都内の移動であればそんなにお金も時間もかからないし、うってつけではないか。ざっと調べていままさに再開発の波が来ていて、駅前はがっつり工事中だとわかったが、であれば一層はやく行かなくては、ぐずぐずしていると間に合わないかもしれない。そう決まって、朝からいそいそと出かけて行ったのだった。車中ではずっとApple Musicで「続・寅次郎音楽旅」を聴いていた。なぜ続かというと、山本直純で検索して出てきたのが続だったからで、前の旅があったのかどうかはわからない。京成線は初めて乗ったかもしれない。駅に着くとそこはサンリオピューロランドがサンリオに塗りつぶされているように、寅さんに占領されていた。まずこの駅のホームだけでわくわくする。本当に路線図が寅さんだ。柱柱に寅さんの台詞が巻いてある。駅の時点ですっかり楽しくなって、カメラを取り出してパチリパチリと始めていると、同じようなことをしているおじさんが一人いて、平日のこんな午前中から寅さんファンがちゃんと来ているのかと頼もしくなる。駅前は噂通りの惨状で、しかし再開発をまなざす寅さん像の背中はいましか見られないものだろう。さくらの目線の先には寅さんがいるはずなのだが、いまはブルーシートで隔てられている。観光客としてはこの状態はまったく歓迎できるものではないが、そこで生活を営む人たちにとって、いつまでも寅さんに縛られたこの土地のあり方に、いい加減どうにかしてくれという思いもあるかもしれない。外野からは無責任に保存の意義を云々しがちだが、ここで思い出すのは昔住んでいたのは下北沢の近くで、それは『下北サンデーズ』というドラマに影響されて上京したからで、小田急のホームが全て地下に潜る、それに伴う駅前の風景の変容は、たった五年住んだだけの僕としても身体のどこかを毀損されたような気がしたものだった。しかし家賃の都合で梅ヶ丘に住んでいた僕ではなく、実際に下北沢が生活圏だった人にとっては開かずの踏切の解消はふつうにありがたかったかもしれない。

参道までの道行から、すでに桜が満開で、山田洋次の碑文がある。この道がすでに何度も映画で見たままで、僕は、うわあ楽しい! と一気に浮ついた。いよいよ参道に入る。僕はもうすっかりニコニコしていて、さっそくとらやに入る。コーヒーと草団子のセットをお願いして、来てよかったな、とすでに満足する。四作目まで実際に使われていたお店自体は建て替えですっかり様子は違うのだけど、階段だけはそのままで、それを眺めながら団子を食う。前の席のおじさんが嬉しそうに店の人に階段のことを尋ねていて、たぶんそのお店の人はもう八〇〇回は同じ話をしている。ここの生業はほとんど寅さんで成り立っているのだ、と思うと、フィクションによって現実が書き換えられている現場にいるようで興奮する。団子はけっこう腹に溜まる。さっとコーヒーで〆て、参道を進む。川千家がそのまんまで、この前を佐藤蛾次郎が何度も駆け抜ける。帝釈天の前の通りも何度も撮られている風景の名残がある。ここを佐藤蛾次郎が掃き清めていた。ここも桜が満開だ。なんだろう、僕は非常に楽しかった。いわゆる聖地巡礼というのがどうも僕は好きらしい。なにがどう好きなのか、ちょっとまだ言語化できないでいるが、こと柴又については、この風景を守ることで成り立つ暮らしがいくつもあり、そうした暮らしの手段として、フィクションへの敬意が機能しているということでもある。僕はとにかくフィクションをフィクションとして信じ抜くという態度にどうしたって感動する。

帝釈天の横の通りを突っ切って寅さん記念館に向かう。受付の横には山田洋次、高橋陽一、秋元治から寄せられたコロナ禍の葛飾区への応援メッセージが掲示されている。なかはまあ想像通りの感じだ。謎にジオラマに力が入っているというかほとんどの展示がジオラマでなんだかなという感じだったけれど、それでもとらやのセットにはわくわくするし、セットの客席に腰掛けて居眠りする寅さんとツーショットをセルフタイマーで撮ることまでした。江戸川沿いもきれいに桜が咲いていて、いい時期に来たものだった。日差しが強くてあまりのんびりしていると日焼けが辛そうだ。花びらを啄む鳩を眺めながら土手でぼけーっと過ごして、なんとなく大回りして帝釈天まで戻っていくと、偶然にも川甚に辿り着く。閉店のニュースを見たけれど、いまはもう閉まっているのだろうか。虹の護符が貼ってあるから、まだ現役なのかもしれなかった。

大和家で天ぷらを食べる。軒先で店の人たちが、目黒川の方の人ではすごいらしいよ、と話していた。大盛りでもお値段変わりませんが、と気持ちの良い笑顔で勧められてつい大盛りにしてしまったが、ちょっとしんどかった。もう大盛りが無料であろうと断るべきなのだが、これまでの習慣でついつい大盛りでお願いしてしまう。この習慣ははやいところ書き換えていかないと。

一人でふらっと知らない町を歩くことのよさは、格好つけてそれっぽく長居をする必要がないことだ。参道も記念館も江戸川も、自分がわあ! となったあとは飽きたらすぐに通過してしまえばいい。14時すぎごろにはもう柴又の駅まで戻ってきていて、じゃ今日のところはこれでお開きということで、と帰っていった。いやあ、楽しかったなあ。

夕方まで近所の漫画喫茶で『葬送のフリーレン』と『呪術廻戦』を読む。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。