きょう、二代目の結婚指輪がやってきた。奥さんとお互いに片膝を床に付き合ってケースをパカって開けるやつを行った。これはとても格好いい。金とプラチナの二つのリングが重なっているようなつくりで、存在感がある。全体で厚みが0.5mm くらいはある。惚れ惚れしちゃう。初代は同じ作家さんのもので、こちらはプラチナで裏地というのだろうか肌に触れる側が金というつくりの可愛いものだ。ギャラリーで指輪の検討をしている際、候補に挙がっていたメビウスリングの紹介で、裏表のない結婚生活を送れるように、と紹介されて、じゃあさっきのこれは裏表のある生活ですね! これにします! と二人でほがらかに決めたものが初代だった。つまり、裏表のある生活から二重生活へ、ということだ。裏が表に迫り出してきた。どちらか片方を優位に置くのではなく、両方がだいじ、という欲張りへ。
もともと二人ともアクセサリーをつける習慣がなくて、指輪なんかもすぐ失くすなり着けていられなくなるだろうという予想のもと、ネックレスにすれば裏地も映えてかわいいとかそういう理由で初代は選ばれた。いまじゃすっかり指輪は習慣づいて、毎晩風呂上がりに指輪交換をする儀式も二人の間の文化圏ではすっかり定着した。それで、もっとごついやつも格好いいじゃん、となっての二代目。どちらも素敵で、また指輪のサイズが合わなくなったら調整するよりモデルチェンジを考えたいと思うが、僕は初代を人差し指にはめ替えて裏表も引き続き大事にしていくことにした。両方が大事なので。嫌いな言葉は「二者択一」です。
おニューの結婚指輪を世界に見せびらかしに行こうぜ、と二人でランチを食べに出掛けて、ランチは美味しかった。デザートまで贅沢して、そもそも指輪が高い買い物であったはずなのだが、指輪が到着するとお祝いだとばかりにご飯を食べに出かけるのはよく考えるとなんだか変と言えば変だが、お金というのをHP のように、使えば使うだけすり減っていくものだと認識していた学生の頃と違い、お金は使わないとしょうがないものだと今は思える程度のお財布の余裕がある。余裕があるものから財布の紐を緩めるべきなので別にどんどん使えばいい。すっかりぽかぽかで、風が強い。二人して帽子が飛ばされないようひやひやしながら歩く。