べちゃあ。帰りに『盗まれた誇り』を買う。
ホックシールドのディープストーリーという道具立ては、「感情的」で「不合理」としか思えない言動でも、それを裏打ちするある種の合理性があることを示すことで、ちゃんと平行線のまま対話を続けるために使うものだと捉えている。異なる立場同士のまま、理解も解消もないが、関係はできる。相容れなさ、わかりあえなさを確認する、そのうえでお互いの領分を尊重し、緊張関係を保つためにやるのが喧嘩だと思う。
この喧嘩観は、朱喜哲がローティを召喚しつつ繰り返し提示している会話の継続という話とも通じそう。朱は会話の継続のための方策として互いの信条や信念への「積極的無関心」を強調しているけれど、僕が喧嘩としてイメージしているコミュニケーションは、信条や信念を開示はするが無関心は保つみたいな超高難度アクションなのだと思う。
自明だと思い込んでいたことが、まったくそうでもなかった、では他人からは不合理に見えるあれこれに合理性がありうるような条件や環境とはどのようなものだったのか?みたいなことをやりとりするのが面白くて仕方がない。「心の砂地♯」の録音なんかもそんな感じのよさがあった。異質な合理性の見せ合いっこ。実話怪談の好きさにも通じる。その人にとって世界とはどんなものなのか。
