2021.06.22(2-p.53)

昨日何を書いたのかさえ覚えていなくて、それは特に珍しいことでもなかった。ずっと家にいると毎日が特に積み重なるでもなくただ流れていくようで、いつも気がついたら夜だし、それまでに新たになったものもなく、変わっていくものさえもないような感覚に襲われる。そうは言ってもなにかしらはあったはずで、例えば今日は朝っぱらから苺味のプロテインをシンクにぶちまけて前々からカビ臭くなってきていたのがいよいよ最低な臭いになったのでシンクを磨き出したら勢いがついて、シンクは奥さんに任せて僕は風呂場で下半身だけ裸になりながらゴミ箱も磨いたし、ついでにそのまま床も磨いて浴槽と床のあいだのところにカビキラーを噴射することまでした。カビキラーの泡をしばらくおいて置く間にキッチンに戻ってコンロも亀も磨いた。台風五号ができたらしい。

『企業中心社会を超えて』は非常にいい本で、なんでこんなに醜悪なんだろうと不気味に思う現与党が僕が生まれる前からおおむね同じような感じであることが知れたというか、現在のこの体たらくは別に五輪由来でも感染症のせいでもなくて、この三〇年以上をかけてずっとやってきたことの成果が順当に出ているだけであることがわかる。それはそれで暗澹たる気持ちにもなるのだけど、やってきたことはちゃんと積み重なってる、というのは、この社会という構築物に対して信頼を抱く最低限の条件ではあるまいか。まだこの暮らしに連続性はある。そもそも現在未曾有の事態だとか予測不可能だとか言っている事態は、実はまったく目新しいものではなくてこれまでにやってきたこととの因果関係が存在している。それを明示してくれるだけでずいぶんと救われる気持ちがあるものだった。何で今ってこんな酷いんだっけ、という曖昧な不安に、そもそもずっと酷かったし今はこれまでの順当な延長線常にちゃんとある。積み上げたものは積み上げられていくということが確認できるだけで、日々の行為への信をちゃんと持てるようになる。会社にも家族にも寄らない生活の形。それを構想して実装していために必要なことをどう積み上げていけばいいのか。たとえばそういう問いの立て方が、一段具体的になるような本だと思う。というこの書き方が全く具体性を欠いているのだけれど。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。