2021.07.14(2-p.150)

僕たちは最近寝つきが悪い。日本の湿気が悪い。政治と同じくらいに生活を脅かす。ひどい。それで昨日は眠くなるまで、なんなら眠気を逃すほどに懐かしいスナック菓子の話で盛り上がった。特にポリンキーのことを十年ぶりくらいに思い出した。まだあるのかな、ポリンキー、とついつい検索してしまう。ブルーライトを浴びながらポリンキーの変遷に詳しくなる。あしたはポリンキーを探しに行こうね、と散歩の計画を立てる。ついでに湖池屋とミニオンが癒着していることを知る。ミニオンのパッケージのスコーンやすっぱムーチョもポリンキーと一緒に探すことになるだろう。三角形の秘密は。

『tattva』と『SPECTATOR』を読み終える。後者は長らく敬愛している雑誌だけれど、最近の特集というか明確にヒッピーカルチャー周りには憧憬と同程度の白け、共鳴と同程度のジェネレーションギャップのようなものを感じてしまう。そういう隙間に『tattva』が沁みる。しかし『tattva』も全面的に頷けるわけではない。両誌ともそれがいけないというのではない。むしろそうだからいいのだ。雑誌なんて不純で、夾雑物がたくさんあったほうがいい。そうやって他者の観点をまるごと節操なく飲み込めてしまうのが雑誌のいいところで、馴染めなさからこそ自分の立ち位置が知れる。全面的な没入ができてしまうのだとしたらそれはその雑誌が読み手や作り手よりも狭いということで、そういうものは僕は別に面白くない。混ぜ物を入れるためには複数人で作る必要があるということでもなくて、むしろ個人の混沌や偏りや矛盾がそのままに開示されればそれは本人すらも整合性を保ちようがないものができて面白いだろう。個人というのもそれをいちいち規格にはまったわかりやすい形にしようとしなければ十分に広いし散らかっているもののはずだった。朝起きた時から寝違えたのか右の首筋が張っていて、左を向くようにすると突っ張っていたい。それでなんとなく右に重心が偏るのでいろいろと健康に良くなさそうだった。

私は若林奮のそのデッサンのように、これに自分がどう接近すればいいかわからないものが好きだ、それを人は、〈わからない=高尚〉という若い頃の悪い経験を引きずってると言うかもしれない、人は人や物や事の何に惹かれるかはわからない、いつもグループの端にいて下ばっかり見ててほとんどしゃべらないような男に惹かれる女の人はたくさんいる、私は簡単に説明できてしまうものでなくそれに対して言葉が出てこないものにこそ惹かれる。

保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房) p.200-201

十七時前大量の雨粒がまっすぐに落ちていくのに気がついた。音だけで勢いがわかる。風はなく、吹き込む心配はなさそうだったが寝室の窓を閉めに行く。しばらくすると奥さんが仕事部屋から俯きがちに出てくるので、すごいね、と言うと不服そうに頷いて黙ったまま戻っていった。こうして降り出したのだからすこしは体調もマシになったとは思うのだけど、降り始めてしまえばうんと楽になるのは僕の特徴で、奥さんは降っている間もつらいのかもしれない。しばらくすると雨は止んだが、退勤して奥さんの仕事を終えるのを待つ間に日記を書いているとまた降り出した。奥さんは夕方になるとようやくやる気が出てきて僕はその頃には諦めて仕事を切り上げているから奥さんの内なる僕は早く仕事を切り上げて遊んでくれたらいいのにと不服そうにしているがこの僕は別になんとも思わずに平気で日記を書いている。内なる僕とは、と奥さんは分析する、結局は自分の仕事なんかより遊びの方が大事だという考えがまずあってそれをあなたの形に託しているだけなんだよね、僕が別に平気なことを奥さんは知っている、それでも奥さんの中で僕は不満げでしかしその僕は僕ではないことにも気がついている。ただこの僕はポリンキーを本当に探しに行けるのだろうか、奥さんが仕事を終える頃には面倒くさくなっているのではないか、とは考えているのだ。いったい僕たちのポリンキーの命運はどうなってしまうのか。教えてあげないよ、ジャン。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。