2021.08.27(2-p.150)

今晩の皿洗いのBGMは『808&Heartbreak』。そのままかけっぱなしにして日記を書きだす。きょうは仕事で観られなかったが、燃えたり結婚したりしたらしい。僕たちのワクチン接種と『DONDA』のリリースとどちらが早いかわからなくなってきた。そもそもパンデミックの収束が見えないというのは、カニエのアルバムを待つこととかなり似ていて、何度も何度もゴールの設定自体が書き換えられてしまう。もうすぐかな、とさほど期待しないように待っていると、しれっと一週間単位で繰り越されていき、やっぱり、と思わされる。いまの感染症の怖いところは、遅さだ。僕たちは速さに慣れすぎているのかもしれない。決死の覚悟というのは、長くても当日しか続かない。潜伏期間というもののせいで、街への外出や何かしらへの参加についてその瞬間は怯えを抑え込む覚悟があったとしても、それからの二週間ずっと不安や後悔をしないで済むほど、人間の決意というのは持続力がない。さらにはワクチンも二回の摂取の間に少なくない時間が取られる。二回摂取してもすぐさま完了というわけでもない。即効性というか、行為の結果がぱっと出ることに慣れていると、この間の空白、待つということの空恐ろしさが剥き出しになっていることがまず耐え難いほどのことのように思えてくる。カニエのアルバムや『ユーリ!!! on ICE』の劇場版を待つことは、待つことの練習になる。人によってはそれは『月姫』だったりエヴァだったりしたのだろう。いつくるとも知れないものを待つこと。約束も確かではない、空疎な時間をじっと耐えること。もちろん、そのあいだも僕たちは生きている。生きているからには何かしらの困難や喜びがあったりもする。その時間は決して空疎なだけではない。けれども、達成するべき地点というものを設定してしまうと、僕なんかはどうしてもそこまでの最短の道程を模索してしまう。せっかちなのだ。できるかぎり待ちたくない。僕がToDoist の奴隷なのも、可視化されたタスクはなるべく効率的に潰してしまいたくなるからだ。そんな僕には危険なブツが届いた。この半年くらい奥さんが愛用しているのを見て欲しくなったFitBitというフィジカルチェックができるスマートな腕時計だ。僕もこの機会に身体の情報を安易に売り渡し、固有性を剥奪されて無味無臭な数値にされてみたいと思った。二ヶ月前にも一度注文し、初期不良で動かなかったので返品して挫けていた気持ちが昨晩復活した。翌日の今日もう届いている。セットアップを済ませ、セットアップというのが好きだ。キャンプや模様替えや引越しやホームページの制作が好きなのも、あたらしい環境を構築するという行為が好きだからだろう。今回はうまく動作しそうだ。さっそくストレス具合や心拍数を測ってみる。面白い。しかし今晩これを装着してからまだ30歩しか歩いていない。一日の目標は一万歩だからあと9070歩歩かなくてはいけない気分になる。しかし流石に今晩はよいだろう。そう言い聞かせる。さっそく危ない。僕はデバイスの奴隷、データの奴隷、目標の奴隷になる素質がある。だからこそ意識的にいいかげんになる必要がある。

溜まっていた書類の整理もした。これも一つの環境構築であるのだが、僕はどうやらイチから立ち上げていくのは好きだけれど、こんがらがったり散らかっているのをイチに復旧していく作業はそれよりは好きではないらしい。いつも小まめにやればいいのにとわかっていても溜めてしまう。それでも始めるとわりあい楽しくというか夢中にやる。黙々と手を動かせば終わる作業は好きだ。待つよりもずっといい。

そういえば本棚にチェーホフの『ワーニャ伯父さん』がなくてびっくりした。当然あると思っていた。『三人姉妹』しかこの家にはないようだった。しかたがないから青空文庫で読む。それから『女のいない男たち』を読んでいて、やっぱり村上春樹は面白がれないなあと確認しているような読み方だった。

この日記は上の段落まで書いて一度公開したのだが、さっそく読んだ奥さんから私たちが着けているのはFitBitではない、そのニセモノだ、とのことだった。シャオミ?のMiスマートバンド5とかいうやつらしい。そういうことです。ニセモノと言ってもシャオミ?としては本物のつもりのはずというか、本物のシャオミ?だ。せめて名前くらいちゃんと調べてあげてもいいのだが、まあいいや。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。