2021.10.08(2-p.166)

会社の勤怠報告や、タイムラインを見るとすでに街は正常化しているようだった。床には本が積まれたままのこの部屋は昨晩の地震がまだ生々しい。昨日も話題になったのはやっぱり三月のあの地震で、僕たちは東京という周縁にいたからなんだかんだ実感は遠い。瓦礫の撤去に何年もかかる。それは毎日毎日この生々しさを思い出すということだ。僕は午後には耐えきれなくなって、本を並び替えたり、棚を動かしたりしてなんとか場を整え終えた。それでも仮の対応であることに変わりはない。これから対策をちゃんとしないと。本棚の地震への備えについて色々と調べる。

昼ごはんを買いに出るとエレベーターが止まっている。上の階になんて住むもんじゃないな、と思う。それと同じくらい、耐震の処置を怠り続けた愚かさが身に染みる。倒れた本棚は天井のつっかえ棒の設置も、いつか、と言いつつほったらかしだったし、重たくて大きい本を天板の上に並べていたから、重心が頭でっかちな幼児のように危うかった。揺れたらおしまいなことは明らかだったのだ。

気分を変えるためにも本を読みたいな。『現代思想からの動物論』を読み終える。ほんとうは一刻も早く『何もしない』と『反逆の神話』に取り掛かりたいのだけど、まずはワディウェルとのやり取りに決着をつけたかった。最後の二章を読み終えて、最初のとっつきづらさというか、明らかに僕の側に動物の権利を真剣に考える姿勢が欠如していて真摯に読めた自信がないけれど、直感的な共感というのはたんなる条件づけられた反応に過ぎないので、そうした条件反射に抗うように論を追いかけていくというのは楽しい読書だった。こうやって最初の問いからしてよくわからないままに読み進めて、だんだんとその理路が体に馴染んでいくような読書は、時間もかかるし、理解できたという満足感もほとんど得られないのだけど、だからこそ異物として長く残るというか、そういう他者を丸呑みするように読むことは、自我の外に自分を開く練習だ。肉食はやめないだろうけれど、動物の権利を問うことは、そのまま権力や植民地やゾンビを問うことに援用できそうで、人間から少し離れたところから論理を積み上げる困難と可能性を実感するような本だった。そもそも面白くて一気に読んじゃう、というのは、現状の自己の形をそのままなぞって満足しているだけで、そういう布団にくるまるみたいな読書も気持ちいいけれど、そこに自己のありようが書き換えられてしまうような驚きや喜びはない。僕は僕の輪郭の点検なんかよりも、その外にある他者に圧倒されたい。それでいうと『何もしない』と『反逆の神話』は、どちらも心地のいい柔らか毛布な気がしてならないのだけど。大いに裏切られたら嬉しい。

寝る前は久しぶりに「月姫」。Switch のポータブル形態で、布団に寝転がって奥さんと二人で遊ぶから、仰向けだと腕のトレーニングにもなる。シエル先輩の話が長くてぷるぷる震えた。どうしてもアルクェイドのほうが可愛い。なんだかあさっての方向に暴走し始めたけれど、それも可愛い。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員。プルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、「家」の別のやり方を模索するZINE『ZINE アカミミ』などを制作。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。