2021.12.16

昨晩は布団に入ったのが二時過ぎで、慣れない布団と枕に寝付けず三時くらいまでメールの返信の文面などを考えていた。脈絡のないことを考えると脳がもうこいつはだめだ休ませようと思って寝付ける、という説を最近どこかで見かけた。そこで頑張って脈絡のないことを考えようとした。カピパラが山脈に変わり相撲取りがバナナの木に登る頃ファンファーレが鳴り響く。それははっきりとした旋律に構成されそうなところで全く別の音がポリフォニックに並走する。マーブル状の光の移ろい、綿菓子の中を奔走するおじさん。そういえば眠りに落ちる瞬間というのを一度も知覚できない。いま寝れたぞ!というカタルシスはない。気がついたら起きる。寝入りの瞬間というのははっきりと点として確定できるものでもなく、だから瞬間という表現は不適で、線の上のグラデーションとしてある変容の過程だ。しまった、目が冴えてきた。

そんな感じで起きたのは八時前で、出勤前の母に会うことができた。コーヒーを飲んで、メールを返す。父は最近釜で米を炊くのに凝っているらしく小ぶりのSTAUBで炊いた米と豚汁の朝食を振舞ってくれる。たしかにおいしい。飯盒炊爨のときに食べるお米みたい、と思う。体に睡眠不足ならではの寒気未満のものが残っているのを感じながら、名古屋駅に向かう。近鉄に乗るのは初めてだ。ホームについたのは約束の一五分前くらいだったのでのんびり待ちながら特急券を買うための会員登録などを済ませておく。特急券を買うという行為自体が初めてだ。なんにもわからなくて、緊張する。一〇時三分前くらいには青木さんも来る。荷物が多くて大変そうだった。行きの特急券は持ちますよ、とてきぱきと特急券を取ってくださる。指定席らしい。窓側をさりげなく譲ってもらえる。車中では昨日の続きのような話から、だんだんと今後の柿内正午としての方向性についての相談めいてくる。話せば話すほど、僕の日記というのはもう立派に作品と言っていいものだな、という気持ちを強くしていくから不思議だ。でもじっさい、ちゃんとした構築的な作品を作ろうと思って『会社員の哲学』を作ったことで、日々の制作としての日記のよさや日々の制作であるからこその質というものもあり、それはそのほかの文章とあまり遜色ないということを実感しているところでもあった。結局のところ、僕にとってなんとなく日記が作品未然のもののように感じてしまうのは、毎日のようにただ書いているという苦労の不在で、要はしんどくないと頑張った気にならない、だとか、頑張らないとやった気にならない、みたいな奴隷根性でしかないようにも思えてくるのだ。しかし実際のところ制作というのは労苦である必要はない。喋るのに夢中で二人ともいまどのあたりを走っているか全く把握していなくて、すわ乗り過ごしたかと焦る場面があった。ちゃんと乗り換えられた。

榛原駅のホームは温暖。標高の高いところらしい。とてもいい天気。青木さんの職場を通過して、階段をいくつも上り、坂を上がっていく。住宅街のこの場所の時点で静けさがある。ほとんど音が周囲の山へと染み入っているかのようで、そうか、普段僕が暮らす町はつねに何か音が鳴っているのだな、と気がつく。坂の上の駐車場に停まった車に乗り込む。お昼どうしますか、と訊かれて、トマオニって近いんですか、と言うとすぐそこということで憧れのトマオニに連れて行ってもらう。ふつうにファミリーレストランなのだが、アニメの聖地巡礼に似た気持ちで、これが!と思いながら写真を撮る。ライスとカレーとスープは食べ放題。ハンバーグは普通に美味しい。これは普段使いにちょうどいいというか、困った時はここがある、と言う「ファミレスの存在は重要だ。生活の支えとしてのリアリティを感じながらトマトハンバーグとコロッケを食べる。食べ放題、と言うのはまさに他者の欲望への欲望が際限なく膨張する現場だ。食べ放題と言われるとおかわりをしないと損なような気がするが、大事なのは自分が満足に満腹したかであって、もう十分なのに無理しておかわりして苦しい思いをする必要はない。若い頃は無限に食べられるから無限に食べたいと思うが、加齢やなんかで有限性を自覚して初めて、食べ放題によって幻視される無限の可能性に惑わされることなく、ちょうどいい塩梅を試行することができるのだ、そんな話をしておかわりを我慢した。おかげでお腹を壊していない。

駅前の個人商店や学習塾そして商業施設のあるエリアから、川をひとつ渡ると田畑の広がる地帯に出る。この季節はどの田んぼも休んでいる。なんとなく懐かしい景色。そういえば名古屋あってすこし出ればすぐにこうなる。車窓から見える景色の面白ポイントを青木さんが教えてくれる。川を結界内の取り込むように配置された神木や鳥居。色濃い部落の歴史。悪の組織の大和支部。オムラヂでお馴染みのコンビニの駐車場。ふいに山道に入っていくとそこからが東吉野村らしい。ここまでずっと平坦な道だったから、山道になった途端に下っていくのが直感に反していて面白かった。町、農村、山と景色が段々と変わっていって、むしろ都心を移動するときよりも受け取る情報の変化やバリエーションが豊かだ。そしてとうとう着いた。山道の路肩に車を停めて、こんなところに停めるんだ、と驚き、橋を渡って天誅組の碑の前まで来ると林の影に入ることもあってもう一段冷え込む感じがある。写真では何度も見た建物。碑のほうに生えているのとは数段細っこい松──かどうかわかんないけど──のあいだを歩いていくと、すでに玄関の扉を開けてマスクさんが待っていてくれる。にこにことご挨拶。

中はとても居心地の良い空間で、トーンは統一されていて清潔なのに、あっさりと生活空間と接続されてしまう隙もあったりしてそれがちょうど良い。物販スペースに『プルーストを読む生活』を置いてもらっていたり、前回のイベントで作った『山學ノオト』の読書メモが額装されて飾ってあったりと、そうやって関係がちゃんとこの空間に配置されている心遣いが嬉しい。かぼす館長は入館した途端からじいっとこちらを見つめて目を逸らさない。来客に慣れているのだ。こちらもぐいぐいいくと避けられてしまうというセオリー通り適度に目を合わせないようにしながらこたつで温まっていると、なんの屈託もなく隣に寝転んであっさりお腹を見せてくる。なんなんだ、この野生が一個もない猫は。本当に猫か?メロメロだった。暇さえあればずっと撫でさせてもらう。可愛い。

駅で買った赤福や、おかしを摘みながらお喋り。途中で来館者の方があり、初めての方らしい。どうやら最近こちらに移ってきて、来週には近所に越してくるとのことだった。出生地であるメキシコで短編小説を発表しているというアンドレさんは、昨日のイベントではどんなことを話したのかと訊いてくれるので青木さんと二人で説明をする。最初はどこまで通じているのかわからないままに話していたのだけど、話していくうちに只者でなさがわかってくる。天誅組の歴史に興味があり、それは本来記述され得ない敗者の歴史だからだ。science fictionとはif の未来を過去から遡行して描いていくことでもある。それはつまりmodernity の相対化であり、べつの世界のシミュレートでもある。丸山眞男によると──、とこういう話で丸山眞男の名前が出てくるとは思ってもいなかったからはしゃいでしまう。さらには網野善彦も読んでいるらしい。僕はキャッキャと明治期の幽霊の話を振ると、メキシコでの大学院時代の指導教官はまさに日本の幽霊のジェンダーについて研究しているらしい。グローバリゼーションとは均質化のことではないと思う、という話が面白かった。わいわいずっと喋る。暗くなる前に自転車で帰って行った。帰りがけに68年から69年にかけての運動史にも詳しいとわかり、ここも「敗者」の側からの歴史という視点が徹底している。楽しいなあ、また会いたいなあ!

その後ポイエティークRADIOの録音。どちらかというと山村夫婦放談にお邪魔しているような気分。青木さんがおくらくんのお世話をしている間、マスクさんと幽霊の話をする。幽霊のZINEを一緒に作るのが楽しみだ。車中で、ルチャ・リブロで「H.A.Bノ冊子フェス」を開催したいねえ、みんなで宿を取って、終わったら温泉にでも行ってさ、という話が出て、あまりにも楽しそう。アンドレさんもそうだし、実際にここにくることでしか会えない人やできない用事ができると、また来れる感じがしてとても嬉しい。今度は奥さんと一緒に来たいな。

車で真っ暗な夜道を送っていただき、ホームでどきどきしながら特急券を買う。ちゃんと乗れたし、乗り換えもバッチリ。新幹線では寝れる気がしなかったのに品川に着くタイミングで猛烈な眠気がやってくる。五分でいいから寝るか……、と思っている間に着いてしまう。彼岸から五時間。帰宅。お風呂に入ってすぐに寝るはずが布団の中で奥さんにきょうの出来事を話して聞かせている。なんかねえ、ずっと喋ってたよ、それでねえ、かぼすちゃん、可愛い……、と言いながら微睡む。奥さんも昨日観た舞台がとてもよかったことを話して聞かせてくれる。もっと聞かせて……、と言いながら、それを寝物語にして寝てしまったのだろう。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。