朝起きて在宅勤務を開始する。きょうはレンタルしているPopInを返して、購入したPopInを受け取る日。名古屋に行っている間にセールだったのを奥さんが手配してくれたのだ。だから取り外して、設置する必要がある。それにきのうの分の日記も書かないとだし、溜まっている仕事をチェックしていかないといけない。洗濯もしたい、と洗濯を回すとゴツンゴツンと音がして、ジーパンをAirPods Pro をポケットに入れたまま洗ってしまった気がして中身をひっくり返すと果たしてそうだった。すでにすすぎに入っていて立派に水没している。慎重に水気をとっているとキィキィと悲しそうに鳴く。本当に鳴くのだ。切断していたiPhoneとの接続を戻して確認してみるとどうやら「Find Me」という状態になっていて、紛失したときの捜索のサポートとしてキィキィと音を出す機能があり、それが暴走しているらしい。別の部屋に移して鳴くままにしておく。乾燥しきって、電池も一回使い果たした状態でもう一回起動して見て、それでも鳴くようだったら買い替えるほかない。今晩は奥さんが見に行った舞台のおかわりについて行ってソワレを観るかも検討しなくちゃいけない。だから悲しんでいる暇はない。だから小一時間で呆然とするのを切り上げ、てきぱきと仕事を進め、日記を書き終え、PopInの取り外しを済ませた。洗濯を干すのは僕が呆然としながら現実逃避のため日記を書いている間に奥さんが済ませてくれたらしく、申し訳なかった。どっと疲れて、今日は舞台には行けそうにない、と諦めがついた。
悔しいけれど、舞台を観に行って元気をもらうにも元気が必要で、今日くらいのコンディションだと多分元気を吸い取られてしまう。また今度、きっと行きたい。チャパティとカレーでお昼。食後、名古屋でいただいた蜜柑と干し柿をぱくつきながら──奥さんは干し柿をいたく気に入った様子──、涙ながらにそう伝えると、懸命な判断、と奥さんも納得した。明日のうちでのクリパをぶっちして観に行ってきたら?と言うが、さすがにそれはよしておこう。
木村俊介さんが『プルーストを読む生活』をtoi books で手に取って読んでくださっているというツイートを見て興奮する。僕が保坂和志を知ったのも、木村さんのインタビューからだし、何度も何度も読んで受け売りするようにして思考の方法を自分のものにしていった。そこでの発言を『プルーストを読む生活』のエピグラフにも引いたくらいだ。その後の「経験論」も繰り返し読んだなあ、と嬉しく思い出し久しぶりに読みに行くと、冒頭からちょうどいま考えていることと同じようなことが話されていて元気が出てくる。
このあいだ、社会学者の宮台真司と対談した時に社会学者にとっての『社会』や、いわゆる世界の状況を分析する人にとっての『社会』は、だいたい息苦しいものになりがちだな」と思ったんです。 まぁ、社会学者だけじゃなくて、ふつうの人たちも「今の社会」を息苦しいものだと感じているのだろうけど……。 ただ、小説で書かれたり他の芸術全般で表現されたりするものというのは、そういう息苦しいものではないんじゃないかと思うんです。
やっぱり小説なら読んだ人の元気の源にならないといけないんじゃないか、と。 社会学の本は現状を分析していくわけだけど、分析の前に現状を把握しますよね。 ただその「現状を把握する」という時点で前提として「客観的な現状みたいなものを受けいれてしまっている」ということになるんですよね。 みんな、身のまわりのことを客観的に分析できる人のことを「頭がいい人だ」と思いがちだけど、 たぶんそういうのはたいした頭のよさじゃないんです。
わかりやすい例でいうなら、岡本太郎とか棟方志功とか、しゃべってる姿を見ているだけでこちらの元気が出てくるような人(笑)は、「分析」とは関係ないところにいますよね。 そういう、バカといわれても構わないから自分の思うところにいける人のほうがずっとエライんじゃないかなぁ。 小説は──ぼくが小説という時は芸術全般を含んでいるのでそう思ってほしいんですが──たぶんそっちを目指さないといけないんじゃないかと思うんです。
「保坂和志さんの経験論!」https://www.1101.com/experience2/01-0615.html
この日記に引用するにあたって改行の仕方を変更した。当時のテキストの配置の形は、いまの標準と比べるとやっぱり違っている。それはいいとして、僕は本来はここでいうバカでも構わないから見てると元気が出てくるような人でいたい。この前のトークも含め、どうも半端に有能なばかりに賢ぶって現状を追認するような息苦しさに乗せられていたな、と反省する。もっと展望をひらいていく側に行かないと。昨年の春以降、明確にこうした態度を見失ってしまっている感覚があって、楽観というか、明るさを意識的に取り戻していかないと、どんどんとせせこましい方に自分を押しやってしまう。
