2022.01.18

僕とクラストル爺さんとの交流は、ほんの些細なボタンの掛け違いというか道の読み違えから始まった。都会以外の世界も見せてやりたいという両親に連れられてやってきた僕は、その広大な牧草地に夢中になった。そして、いまや文字通り虜となったのだ。

地平線まで見通せそうな広大な草原を、両親の姿も見えなくなるような距離がむしゃらに駆け回った僕が、自分が今どこにいるのか、両親の元にどう戻ればいいのかわからなくなるまでそう時間はかからなかった。放し飼いになっているのだろうか。向こうのほうにぼんやりと牛や羊の姿がある。心細さを紛らわすために、僕は少しでも動くものの気配がある方へとふらふらと歩いて行った。なんだ坊や、迷子かい? 広いおでこに、隆起した眉間と立派な眉毛が落とす影の奥で鋭く光るまなざし。クラストル爺さんは、本来であれば老いる前に死んでいるような人の顔をしていた。両親が僕を見つけ出すまでの数時間、そしてその田舎町に滞在する残りの数日間、僕は全ての時間をこの老人と共に過ごした。僕はさまざまなことを学んだ。社会というのは国家をもたぬように努めてきたこと、マルクス主義や構造主義の可能性と限界、いかにして南米の先住民たちは首長を頂点とした権力のヒエラルキーの成立を回避してきたのか──

クラストル爺さんは天涯孤独の身だった。半世紀以上年下の僕のことを、実の孫のように可愛がってくれた。それは短い滞在を終え、僕が灰色の都会生活に戻って行った後も色褪せることはなく、僕たちはまめに手紙を送りあい、僕は未来への青い希望や不安を、彼はこれまでに培った自発的隷従への抵抗の方法を、お互いに交換しあった。そして、長い冬がようやく終わるというころ、クラストル爺さんからの手紙は途絶えた。

予感がなかったわけではない。筆跡は日々衰えていく体力を冷酷に反映していた。雪解けの日、僕は再びこの地を訪れた。そこで待っていたのは、荒れ果てた牧草地と、トーマスと名乗る恰幅のいい男だった。トーマスによるとやはりクラストル爺さんは逝ってしまった。そしてこの牧草地を僕に遺したというではないか。僕はちょうどこのころ、都会であるトラブルに見舞われて──この話はまだしたくはない──、心機一転をはかりたいところだった。だから僕はトーマスに微笑みかけて、もちろん今日からでもここで暮らしますよ、となんのためらいも見せずに応えたというわけだった。まずは愛犬のチャンドラーを、車から降ろしてやらないとな。これからは、ここが僕たちの家だ。

いきなり任された牧場を懸命に開墾して、森でたけのこを採って糊口をしのいでいくだけであっという間に日が暮れてしまう。何日経っても、町を歩くと見知らぬ余所者だと訝しがられる。知り合った可愛い女の子に勇気を出して話しかけても、うまく話題が思いつかない。ええと、なにかよう? と訝しがられる始末だ。ようやく仕事が落ち着いてきて、街の大半の人と顔見知りになった頃、海辺で佇むあの子にいきなりペンダントを贈った。彼女、ものすごく戸惑っていた。そりゃそうだろう。ろくに話もしたことのない余所者に、いきなりこんなものを押し付けられて。それに彼女だって広場にいたから知っているはずだ。このペンダントは、祝日に広場で開催された競馬の景品だって。しかもコインたったの20枚で交換できるようなちんけな代物だ。もうだめだ、俺は終わりだろう。いつしかこのゲームの主人公は、マーティン・スコセッシが撮る若かりしロバート・デ・ニーロのようになっている。人間関係はうまくいかない。恥ずかしいことばかりだ。それに比べて畑に植えたキャベツやかぶは、日々世話をすればちゃんと実ってくれる。はじめて収穫できた時はそれは嬉しかった。俺のやってることは無駄なんかじゃない、たしかにすこしずつ上向いているんだって、そう思えた。毎日水をやるのはそりゃ骨が折れた。毎日雨が降ってくれたらって思う。すこし餌を忘れただけで鶏は臍を曲げて卵を産まない。でもかぶは、文句も言わずに実をつける。人間や鶏はだめだ。俺には難しすぎる。俺には、かぶさえあればいい。種を蒔いたらすぐに収穫できるし。俺の名前はアカミミ。このクラストル牧場の二代目だ。

『牧場物語 ミネラルタウンのなかまたち』は、たいへん楽しい。

箕輪さんからメールをいただき、お願いしていた新しい似顔絵をさっそく納品してくださる。うわあ、なんだこれ本当に最高!背景を含めたベースの色味に知的な静けさを讃えつつ、黄色い帽子がキリッと鮮やか。大きいメガネの存在感もばっちり。一日中うきうきとして、早速いろいろのアイコンを新調していく。これだけで、なんとなく新しいことが始まった気がして、気持ちが改まる。なんだかいっそう素敵な自分になっちゃう感じ。嬉しいなあ。

もともとはON READING での『ESCAPE』刊行記念イベントに伺って描いてもらった似顔絵をアイコンにしていて、それもとっても気に入っている。去年の暮れに思い立って、新しい似顔絵を発注させていただいた。いつかきちんと、自分のためだけの絵をお願いしたいと思っていたのだ。特になにがあったわけでもないけれど、ふと機は熟した気がしたから発注した。これからは、この顔でやっていくのだ。昨年や一昨年はずいぶん楽しい思いをさせてもらった。今年も、もっと楽しいことをしよう。そういう気持ちになっている。嬉しさの表現として今日は日記を張り切ったが、この張り切り方で良かったのだろうか。

この数日、枕元には小野不由美『残穢』。寝る前にニマニマ読んでいると奥さんが、怖い、怖いの読んで嬉しそうにしてる、と怯える。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。