おやつの時間に奥さんと「温泉マークのオートチューン実況」を観てゲラゲラ笑う。私もオートチューンかけたい、と奥さんは言う。ポイエティークRADIO にオートチューンがかかる日も近いかもしれない。
昨日からは三冊で始めた。『公共性』、『国家をもたぬよう社会は努めてきた』、『交わらないリズム』。よりマシな社会のありようを探るポリリズム。国家とは本来、社会と対立関係になるものなのかもしれない。『公共性』はたしか『ゲンロン0』で取り上げられていてずっと気になっていた。公共、その言葉に託されたものの変遷を整理するところから始まり、公共性とは閉域を持たないことだと定義される。公共性は、内と外との峻別を前提とする共同体とはここで区別される。100ページちょっとの本だけれど、1ページの情報量が濃密で、なかなか進まない。ほかの二冊が100ページ進むなか、20ページくらい。
孤独という問題を「私事」ではないものとして受けとめようとすれば, やがては文化そのものの質を問わざるをえなくなる. 役に立つー立たないという有用性の規準が妥当する空間はたしかにあるだろう. 問題は, そうした空間が途方もなく膨張し, 私たちの生のほとんど全域を包み込んでしまっていることにある. アーレントは多くの人間をたえず「余計者」としていく「功利主義的思考」の浸潤を問題化したが, そうした思考は, 無用とされるものをただちに切り棄てることが「正答」とされるところにまで行き着いてしまった. 公共性を排除のない民主的空間と描きだそうとするのであれば, 無用とされる人びと, 「用済み」とされる人びとをつくりだすことを自明なこと, 当然のこととして考える惰性態(ルビ:イネルシア)としての思考習慣を根底から問い直す必要がある. 本書では,人間が有用かどうかで判断されるのではない公共性の次元に光を当てることによって, この問題を考えていくための一つの端緒にしたいと思う.
齋藤純一『公共性』(岩波書店)p.18-19
こことか読んでいると、なんで今まで読んでなかったんだろうというほど僕のための本だ。零貨店アカミミの理念はこれを読む中でいっそう練り上げられていくかもしれない。
『衛宮さんちの今日のごはん』のアニメは、単体で見ると退屈な料理番組にぞんざいに付けられたドラマパートのような内容なのだけど、『Zero』や『Unlimited Brade Works』を経てからだとシリーズ史上いちばんの作品だと感じてしまう。もっとも勇敢なのは、なんでもない日々を大切にしていくことなのだ。
注文していた『牧場物語 ミネラルタウンのなかまたち』が届いたので遊び始める。ゲームボーイミクロはいちばん好きなゲーム機。奥さんはいつも、目を悪くしそう、と言う。
