ずっと気圧が下がり続けていて、夜にはさらにぐっと下がるらしい。冷え込みもすごい。総じて元気がない。アーレントを読んでいたがすぐにうとうとしてしまう。
アーレントは面白い。さいきん流行りのAI に対する過度な期待に基づくあれこれは、すでにこのころから論じられている。我々は人間なのか?
道具と機械の決定的違いは、おそらく、人間の方が機械に「適合」すべきか、あるいは逆に、機械の方が人間の「本性」に適合すべきかという、明らかに際限のない議論の中に最もよく示されている。私たちは、第一章で、なぜこのような議論が不毛であるのか、その主な理由について触れた。繰り返していえば、人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。いいかえると、人間とは、自然のものであれ、人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。そうであるとすれば、人間は、機械を作った途端に、機械の環境に自分自身を「適合させた」のである。こうして機械は、まちがいなく私たちの存在の不可欠な条件となっている。それは、それ以前の時代の道具や器具の場合と同じである。だから、私たちの観点から見ると、議論の興味は、むしろ、機械の場合にだけ、なぜこのような適合の問題が起こったのかという点にある。実際、人間が自分の使用する道具に適合し、また道具にたいしては、特別に適合しなければならないという点については、なんの疑いもなかった。つまり、人間は、自分を自分の手に適合させればよかったのである。しかし、機械の場合は、事情がまったく異なる。仕事の道具というのは、仕事過程が続く間ずっと手の召使いに留まっている。ところが、機械の方は、労働者にたいして、機械に奉仕するよう要求し、労働者がその肉体の自然のリズムを機械的運動に適合させるよう要求するのである。もちろん、このことは、人間そのものが自分たちの機械に適合し、その召使いになるという意味ではない。そうではなくて、機械による作業が続く限り、機械過程が人間の肉体のリズムに取って代わっているという意味である。道具の場合、最も精巧なものでさえ召使いのままであり、手を導いたり、手に取って代わることができないのに、機械の場合は、最も原始的なものでさえ、肉体の労働を導き、ついには完全にそれに取って代わるのである。
アーレント『人間の条件』志水速雄訳(ちくま学芸文庫) p.236-238
『プルーストを読む生活』が取次に搬入されたとのこと。つまり、つまり、どういうことだろう。いくぜ全国! ということで合っているだろうか。たぶん合ってる。どんどん広まってくれ。そしてこの世をすこしでもマシなものに思わせてくれ。
明日には緊急事態がやっぱり宣言されるとのことで、そうですか、と思う。20時以降に夜の散歩とか敢行したいな、ひっそりとした夜道を覚えておきたい。
もうなんにもやる気が出なくて、18時以降はFGO のイベントを猛然と進めるだけの機械と化した。
夜が更ければ更けるほどやはり気圧がひどくて、もう日記も書く気がしない。それなのに奥さんが、さて、きょうはあと歯を磨いて薬を飲んで日記を読むだけだ、などと言う。書きたくない。そう思って、MacBook が冷えてバッテリーあがっちゃったし、バッテリーどっか行っちゃったな、と言うと奥さんはバッテリーを持ってきてくれる。もう逃げられない。
人を追い込むのは敵とは限らない。味方の期待に押しつぶされそうになることだってある。『ハイキュー!!』のそんな台詞を思い出しながら、なんとか文字を打ち込んだ。
