推しのことはもっと知りたい。というわけでWikipedia やTYPE-MOON Wiki などを読み、そこでネロを題材としたフィクションとして挙げられていた『ネロポリス──ネロの時代の物語』を図書館に取り寄せてあって、明日からどうなるか分からないのできょう受け取った。裏表紙の内容紹介に「三十年に一度の傑作」とあって、奥さんにウケていた。宣伝文句としても称賛としても、大袈裟なんだか謙虚なんだかさっぱりわからないね。奥付を見ると原書は1988年に出ている。これの次の傑作ももう出ている。
ネロの時代が舞台なだけであって、ネロが主人公なわけではない。それはそうだ。ネロの時代の物語であって、ネロの物語ではない。むしろこの本ではネロは悪辣な暴君として出てくるようだった。まあそれでもいいか、と思って読み出すとなかなかネロは出てこないどころか産まれてもいない。カリグラはここでもバーサーカーだった。めちゃくちゃな身なりで、めちゃくちゃをしでかす。元老院の連中を皇帝特権を活かしたパワハラであっという間に追い詰めていった。
コルドゥスは太った人間にふさわしく親切だった。太った人間は禁欲的な哲学者よりも気を遣うものなのだ。もっとも彼はたらふく食べに行くために急いではいた。
ユベール・モンテイエ『ネロポリス』羽林泰訳 上巻(中央公論社)p.22
FGO のカエサルも太っちょでそれが美徳として誇られているが、古代においての太っていることがそのまま富に直結するような価値観に接すると、昔から富というのは目に見えてわかりやすくないといけなかったんだなと思う。贅沢と言うのは見せびらかさずには効力をもたない、他者からの認識なしには豊かさというのも機能しないというのは、なにも消費資本主義社会に限ったことではない気がする。そんなことを隙間に読んでいる『生活の発見』がちょうど「お金」の章だったこともあって考えていて、それとは関係なく親切なコルドゥスの大食感ぶりを示すくだりですっかり愉快になっていた。
コルドゥスはもっとおもしろい競売でせり勝った話をアポニウスに聞かせた。「一昨日の早朝、トランスティベリム地区の魚市場で──玄人はヴェラブルム街の大きな魚市場をばかにしていた──熱心な愛好家集団から腕の長さほどもあるスズキを八千セステルティウスで買い取ったんだ。スズキと言ったかな? ローマのスズキさ。釣人がカティと呼ぶ魚で、ティベリス川の排水渠に住んでいる大食漢でね。だから『橋の間のスズキ』とも言うんだ。本物のカティ、それもこんな大きな奴となると、値のつけようもない。イシスの神官かキュベレの宦官みたいに脂が乗っていて、盥の中で尾をぴちぴちさせて跳ねるんだ。きみに見せたかったな。新鮮さを保つために生きたまま念入りに仕込んだクールブイヨンで煮て、それを大きなヒメジの肝と、ルクリヌス湖のカキ、ウニの心臓、エビの団子の詰物と一緒にインド諸島米でつないだ最高のソースで味わったんだ。カティロの香りは絶品だよ」
同書 p.14
『サラムボー』に続いて歴史物で、歴史物のセックスや食べ物の豪快な感じがいまは楽しいようだった。時代がここまで離れていれば、衛生観念とかを気にせず暴力的な奢侈を屈託なく楽しめるということだろうか。みんなウサギみたいに交わり、カバみたいに飲み食いする。いまはそういうのが読みたいようだった。
Twitter もニュースもしんどくなりそうだったから、ずっとFGO を遊んでいた。林檎を食べ続けて宇宙を駆け回っていたらもうシナリオを終えてしまった。遠坂凛ルートだった。凛がひとりで桜もやっていたのでより純度の高い遠坂凛ルートだと言えた。FGO の話はFGO をさっぱり知らない人でも楽しめるように書くことを諦めてからはずいぶん書き方が見えるようだったが、しかしこういう流行り物こそ、その外にいる人たちに面白いように書くべきではないのか、というモヤモヤはやはり拭いきれない。しかしこれは日記であって、もちろん読み物としての面白さはいつだって意識しているが、それを意識しすぎるあまりこの半年ほどこれほどまでにどっぷりハマっているコンテンツの話に触れないままでいるというのは日記としての機能をあまりに果たしていないことにはならないだろうか。いやしかしこうして人目につくところで生活のログを残していくというだけでは単なる露出狂的な充足の追求にしかならないわけであって、やはり第一に読み物として面白いべきであろう。いやいやしかし他人の日記を読む面白さとは他人の日々の営みに対する覗き見のような楽しさが大きいのだから、日記は日記然としていた方が面白いのかもしれないが、しかし僕はこの日記を他人の楽しみのために書いているわけではないから、読んでいる人のニーズを気にしたり応える必要を感じたりする意味もないはずなのだった。いまだに日記というのは分からないし、それをこうして公開している意味もよくわからない。わかるのは毎日楽しいということだけだ。
