散歩と滑空と略奪が楽しすぎるゲームによる寝不足、日照りによる夏バテ、なんだったら食べられるか途方に暮れるお昼どき。ヒンヤリダケと火打ち石と薪さえあればな。
汲み尽くせぬコンテンツの濁流に飛び込んで現実の実相とは別様の概念体系の奥行きや深みを味わうような享楽のたのしさを至上のものと据えてきたけれど、加齢による体力や気力の低下ゆえか、あるいは単純にこの生の有限性に対して重たい実感を抱くようになったからか、この生や眼前にひろがる他者たちへの素朴な驚愕のほうが切実さや面白味を帯びてきた。
えも言われぬこの生の相貌をあらたに言葉で書き表そうという無茶への憧憬は深まるばかりでもあり、側から見るとそれは現実から遊離した虚像と戯れているだけにしか見えず、とくだん変わり映えしないかもしれない。けれども、これまで他人事として鑑賞や消費の対象だったあれこれが、実存へと照らし返されるものとして迫ってくるような感じが、ようやく自分にもやってくるようになったというか、そんな感覚がある。
インターネットよりも『古今和歌集』とかを読んでいる方がいいな、みたいな境地、これはただ年寄り臭い懐古みたいな話ではなく、けっこう重要ななにものかが賭けられている気がしてきた。
日本の古典と呼ばれるものを、ナショナリズムへの嫌悪から避けてきたのだけれど、実際問題これからの人生で外国語を本格的に習得をする可能性は極めて低く、であればこの日本語というものをとことん学んでいくほかないのではないか、みたいな考えにゆるやかに変わってきている。この自分という個の成立与件を探るために学ぶのであって、安易に国家などに回収させてはいけないものとして読むという立地点を見出せそうな気がしてきたというか。思想書を原語で読むみたいなことは、必要上ある程度できた方がいいんだけど、そこを極めるよりも和歌や漢詩に親しむ方向に時間や手間を割くのがいいかも、という予感。
週末からの三日間の日記は主にポメラで書かれ、PCで仕上げだった。きょうの日記はスマホで、Twitterやマストドンにちぎっては投げるようにぶっきらぼうに書いたものをそのまま転載している。書く道具や環境によって文体はけっこう変わる。短文投稿の場ではとにかく切断面が鮮やかなように書かされそうになるのを、ぎりぎりのところで鈍くさくさせるようにして書く。ポメラやPCは気ままにだらだらかけるからこそ意識的にしゅっとさせる。あくまで感覚のうえでのことで、結果としてどのようになるかはまた別の話なのも面白い。
夕飯前にお風呂を済ませておくと食後たっぷりゼルダができる。眠くなるまで冒険だ。
