2023.05.18

寝起き即顔面ギトギトの季節がやってきてしまった。あまりにも暑い。冷房の試運転をしておく。ゆうちょの口座が生きているかどうか確かめたいのだが、ログインするための情報がどうにも覚束ず、確認にはキャッシュカードが必要そうだったので家探しをするも通帳しか見当たらないので途方に暮れる。Google検索もChatGPTも、この家のどこかにあるはずのキャッシュカードのありかを教えてくれないから役立たず。通帳の記入には五万くらい入ってそうだが、そもそも10年放置すれば勝手に消えるから今の口座に集約しようと全額引き出したような記憶は微かにあって、だからこれは記帳していないだけだろう。

午前中ぎりぎりに増刷した『会社員の哲学 増補版』が届く。到着を待ちながらできる準備は済ませていたので、正午までには梱包も完了し、郵便局へ。ゆうちょの確認もしたが、やはり失効していた。イネなのだろうか。鼻水がつるつる出て、くしゃみを連発する。日差しで眼球もしょぼしょぼするので、サングラスをかける。日傘も手放せない。体の表面に刺さった熱が発散されず、ずっとカッカとするような感じがあって、ぬるい火傷のようだった。これは夜までずっと長引いた。

午後からおでかけ。立川へ。ジュンク堂で石黒亜矢子フェアと国書刊行会フェアを眺めてから、エミリーフローゲでお茶をする。奥さんが注文したパフェが賄い飯のようで、あらゆるケーキや焼き菓子の切れ端が気前よく詰まっているので羨ましかった。いま読んでいる本に目を啓かれて、和歌や漢詩への興味が湧いてきたことなどを話していると国語便覧が欲しくなってジュンク堂に舞い戻るもなくて、オリオン書房にもない。そうか、国語便覧は本屋にはないのか。マドンナ古文を買い直そうかとも思ったが、ブックオフにもありそう、などと考えていたら奥さんが、いっそブックオフの方がいいかもしれない、と冴えていた。ブックオフには三冊も便覧があって、あれこれと吟味する。すでに面白い。保坂和志は便覧に載っているのだな。選びきれずに二冊買おうとするが一冊に絞りたかった。なので一冊にしなさいって嗜めてくれる? と奥さんに頼み、嗜められたので泣く泣く一冊にした。古文の参考書も買った。二冊で440円。

立川ステージガーデンでエーステ春単。これまでは声量や熱量でエモーショナルなシーンを作り上げることが多かったけれど、今回の泣かせどころはどれもたったひとりでぽつねんと舞台上にいる静けさで、ああ、エーステはここまで成熟したのだ、と思う。全体を通してBPM が低い。シーンの転換もしっかりと暗転して読点を打つことが多かった。つまり、ある程度の停滞や休止があっても観客は集中力を途切らせることなくついてきてくれるという判断がそこにはあった。だからこそ、無音が際立つ。一幕が2.5次元舞台の話なので、メタな自己言及に走るのかと思いきや、ほかの2.5次元舞台の方法論を批評的に模倣しつつ、われわれは──ある意味では原作以上に──「演劇」に信を置くのだという態度表明になっていて格好いい。二幕は音楽学校の話で、つまり演奏はフェイクなのだが、客席はその音が舞台上から鳴っていると信じることができる。今回タンジェリン役の俳優が喉をやられて、声だけは裏から別の俳優が演じるという二人羽織だったのだけれど、このトラブルさえも今回の上演の主題の変奏として読むことができる。ゲームの舞台化、音楽や俳優の吹き替え、上演される作品がイミテーションであることは、舞台上に立ち現れる「ほんとう」を損ねるものではない。思い返してみれば、エーステはつねに楽屋裏を明かそうと舞台上で起こるワンダーが減じることはないというようなことを表明し続けている作品であった。いやあ、いいもの観たなあ。

かるく飲んで帰る。夜の立川は平日の方がガラ悪いな。昼間はあんなに静かなのに。夜はどこも酔っ払いがあふれていて、まだ木曜なのに、なんでみんなこんなにぺろんぺろんなんだろうと不思議だったが、夜の街とはいつだってこんなものだったかもしれない。僕らが夜べつの街に出なくなっていただけなのだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。