朝からそわそわしていた。18時からFGO で新しいイベントが始まるそのイベント自体も楽しみだし、早見沙織の声帯を持つ景清が実装されるからだ。上限を決めて、あらかじめ一万円分石を買っておいた。年始の福袋で入金して以来、ソシャゲにお金を払うことに抵抗がなくなった。もともとはあんな紙芝居のようなもの、しかも実態のないデータなんかにお金払える気がしない、と言っていたにも関わらず。あっけないものだ。自分の価値観が変わっていくのはすごい楽しいというか、頼もしい。まだ自分を信用していられる感じがしていい。もしも僕がかたくなになにかの主義や方法論に固執するようになったらお願いだから誰か僕を正気に戻してくれ、いつだって感性は若いものが「正しい」のだと言いたい。なるべくは心底から言っていたい。それは広告的な声の大きさとは全く別のことだ。新しいものはそんなにかんたんに拡声器に馴染めない。小さな異物感に対してつねに開かれていること。僕にとってそれが僕が僕を信用できるか否かの基準の一つだった。
昼休み、『ゆるキャン△』シーズン2の第二話を見てあまりの良さに少し泣いてしまう。一〇代のてらいも強がりもない素朴な死生観に揺さぶられ、それぞれの場所から見える初日の出を分かち合うシーンで涙が出る。これほどまでに、美しい景色を前にスマホのカメラを構えるという行為をやさしく肯定的に描く作品があったろうか。物理的距離、おのおのの施行、個々人のスタンスは離れていようとも、こうしてそれぞれの場所から見えるものを教え合うことはできる。このような状況で見るからこそ余計に胸を打つ場面だった。
それから『男はつらいよ』をBGM がわりに流しつつ仕事。リリーの出る回はいつもいい。その次の伊藤蘭が、僕はこういう女の人にいつも弱かった、中学の時も高校の時もだいたいこのような雰囲気の女の人に憧れた、とはんぶんありもしない思い出とともに強烈な印象を与え、とにかく僕はこのころの伊藤蘭がかなり好きらしい。なんだろう、つねづね言っているが顔としては僕はいつもくしゃみの一歩手前みたいな顔をしている人が好きで、伊藤蘭もその系譜だった。でもたぶん顔ではなく、なんというか全体の雰囲気、触ることができてもそれ以上のことはなにもなさそうな、そういう人との距離の取り方みたいなところに惹かれたような気がする。こういう話をするとき僕はいまだに高校一年生の頃の女子と目も合わせられない頃の自分に戻ったような気がするし、そういうのまじでキモいなと冷静に思う三〇手前の自分もいる。
18時2分前に退勤し、そそくさとアップデート。あっという間に石を溶かし、巴が来てくれた。景清は来ない。そうか、と思う。来てくれないのは残念だが、不思議とお金は惜しくない。この半年間楽しませてくれたコンテンツに対してお金を払うのは普通に気持ちがいいし、石を買うというのは運営への労いというか払える余裕のある時は払いたい対価でしかなく、目当てのサーヴァントを引く可能性を買っていたわけではないのかもしれないと思った。景清引いたというツイートを見たらたぶん即刻ブロックしちゃうと思う。
牛若丸は声帯は好きだがいかんせん絵があまり好きではなかった。アニメ版の牛若丸は可愛かった。そう思っていたら、牛若丸のバトル時のビジュアルが刷新されていて、足のすらっと長い別嬪さんになっていた! すてき! かわいいねえ、格好いいねえ、聖杯をあげようねえ、とぶつぶつ言っていると、奥さんがふはっと苦笑を漏らした。孫に毟り取られるじじいかよ、みたいな感じだった。
松井さんが挙げている『プルーストを読む生活』取扱書店リストを眺めながら、奥さんは次どこ住むか検討する際にこのリストすごく重宝しそうだね、と言った。すごくよくわかるから僕が言ったことにして日記に書こうかと思ったが、僕は正直者なのでちゃんと奥さんの言葉としてこうして書く。次こそはいい本屋のある土地に引っ越したい。
