『陰摩羅鬼の瑕』はハイデッガー、林羅山、異類婚姻譚の三題噺でこの組み合わせだけでもううきうきしてくるし、『塗仏の宴』でとうとう破綻を迎えた関口にとって『姑獲鳥の夏』の再解釈という面もある作品なのだが、いかんせんこの二度目の夏は一度目と酷似しており、冒頭の対話の時点でネタが割れるというか、謎も何もないまま、あけすけにことが行われて、しかもそこに至るまでがやけに冗長であるという代物で、ここからは初読なのでどうしてもミステリのように読んでしまうこちらの態度もあるのだろうが、こんなにわかりきった話をここまで引っ張ってどうするのだという戸惑いが常に付き纏った。思えばこれまでは小学生時代の記憶があるからだいたいこんな感じだったなという感覚があり、だからこそこちらも犯人探しにも謎解きにも関心はなく只管たのしい読書に耽ったわけだが、ここにきてそうした謎に翻弄され、解明に膝を打つようなことを期待したのかもしれない。しかし、特に今作はそうした期待に応える気はさらさらないような単純明快さで、そもそも要素が少ないから錯綜しようもなければ整理の余地もあまりない。あっけないな、というだけの感覚がある。これもまた読み返せば面白いのかもしれないが、もはや京極堂での妖怪談義だけを拾ってくればいいような気もする。死生観という難物を前に筋をシンプルに削ぎ落としたのかもしれない。しかし、もっと慄きたかったし驚きたかった。荒唐無稽は無駄にごみごみしていたほうが映えると思うのだ。絶対に起きると知らされている事件が起きるのがずいぶん終盤で、そこまでもだもだしているのが嫌だったというのもあるかもしれない。事件はすぱっと起きて、そこからどたばたするのが見たい。あちこちから人や情報が冗長な道程を経てとうとう一箇所に集約するときの興奮みたいなものを僕は好んでいるようだった。
台風は上陸するような予報だったが昼にはもう降っておらず、奥さんとお昼ご飯やお菓子を買いに散歩に出かけた。ついでに粗大ゴミシールも買う。この日記を書く頃には熱帯低気圧に変わったそうだ。それに台風と名がついていなくても、あすの天気が荒れることには変わりはなさそうで、それも午前中には落ちつくようなことも言っている。そうだといいなと思う。
