「東梅田サンシャインで日記」
出先ではiPhoneでメモを残しておいて、それを手がかりにしてポメラで書くわけだけれどこの日のメモはこれだけだった。真夜中にこれはほんとうに駄目かもしれないなと便器にしがみついてはベッドに転げ、また便器を抱え込んでを繰り返していたけれど、朝は驚くほど爽やかに目覚めてホテルの朝食ビュッフェはそれでも控えめにしておいた。具のほとんどない味噌汁がやけに沁みる。おにぎりも一個。おかずは鮭と玉子焼きとおくらくらい。チェックアウトを済ませると本降りで、そうだったのか、と思う。東京の奥さんも僕の頭が猛烈に痛くなった二時頃に具合が悪くなっていたということだから、気圧や寒暖の差でそもそも寝られないほどの不調であったのかもしれない。あの苦しさが酒だけのせいでなかったとして、あんなに熱心に吐かなくてもいい気がしてきたし、しかしあれだけ出し切ったからこそ元気なのかもしれない。
東梅田まで出て九時前だった。清風堂書店は十時くらいに開くようだから、しばらく近くの喫茶店で日記を書いてしまいたい。それで「東梅田サンシャインで日記」だった。つまり僕はサンシャインでヨーグルトと珈琲で一時間粘ってきのうの日記を済ませてそのままの流れでメモを残してくれたのだろう。隣の二人掛けの席はおそらく兄と妹の久々の再会で、お互い気遣いが感じられる気持ちのいい会話が繰り広げられていた。え、じゃあもうキティさんは灰原さんじゃなくなるの? ポップコーンも? じきにな。
清風堂書店に寄って、『『ベイブ』論、あるいは「父」についての序論』が『会社員の哲学』と隣り合っていい位置に置いてもらっている。青木さんの本もばっちり。新刊案内のペーパーをもらう。梅田から新大阪。りくろーおじさんをお土産に買う。東京から名古屋に帰省するはずが土産はりくろーおじさん。来た新幹線にひょいと乗る。六千円くらいで一時間弱で着いてしまう。昼前には名古屋だ。
実家に着くと父がいて、作り置きのごはんを出してくれる。大判の『画図百鬼夜行』と百鬼夜行シリーズを東京に送りたい。部屋の棚の漫画はなぜか最新刊まで増えている。ノベルス版の京極も『邪魅の雫』まであって、でも鉄鼠と絡新婦が抜けているのはそのままだ。『魍魎の匣』を開いてみたらページまたぎが普通にあって、きちっと納めるルールはいつから適用され始めたのか気になった。文庫化くらいがきっかけなのだろうか。
いちどは疎らになっていた雨は本降りに戻っていて、奥さんとの待ち合わせは東山動植物園だったからすこし心配だったが強行することにして、一足先に入園してしまう。犀が水浴びしていて気持ちよさそうだった。象は子供がいた。虎は思ったよりも間近で見れる。恐竜までいる。植物園への道を確認して白熊や麒麟を眺めていたらそろそろ着くと連絡があって正門まで小走りで引き返すと好きな人がいた。さっき見て面白かった犀や象をささっと紹介し、虎はおう、おう、と吠えた。植物園には池を迂回していく。池に浮かんだボートは動物の頭部から肩にかけてがにょっきと生えていて不気味。黄金コアラだけ異彩を放っている。奥さんはお腹が空いて機嫌がなくなってくるけれど、目当ての温室が見えてくると元気が出てきて、噴水前の水場にある蓮の花の立派さにそわそわとして、室内に入るとわくわくと空腹を忘れることができた。いくつものセクションが連結された屋内には植物が繁茂しており、それぞれラテン語のような長々しく大仰な名前がつけられているから、不意に現れる「スーパーミニバナナ」に笑わされる。根っこが天井からたれさがっていてしっとりと濡れている。あるいは、結露だか雨漏りだかで水滴がおっこちてくるので服がしとしとしてくる。コンニャクの木の生長の速さや、パイナップルの実の付き方の間抜けさも面白い。奥さん五人分くらいの背の高さのサボテン。幾種類ものハイビスカス。ウツボカズラの群れ。ブーゲンビリアの花は花のような部分が萼だろうか、あとでしらべたら萼ですらなかった。多肉植物の和名がやけにいかめしくて、奇想天外とか亞阿相界とか、インド由来だからだろうか。沙羅双樹や菩提樹を見て、閉園時間が近い。時間になったら門を閉めるという。そうしたらどうなるのだろうか。出遅れたニンゲンたちとして展示されるのかもしれない。アナウンスに呼応するように空は暗くなっていき、鸚鵡たちがアァアァと騒ぐから余計に怖い。怖い! と笑いながら転げるように急ぐ。いよいよ正門というところで水たまりを踏んでしまって靴下がびしょびしょになる。あまりのつらさに内股になる信号待ち。ファミマで紫の靴下を買った。
カメダビルの一階にあるカフェで珈琲とチーズケーキ。トイレで靴下を替えさせてもらう。薄暗くて静かでいいところだった。ON READINGに到着。杏子さんとスタッフさんにご挨拶。本を眺めて、小腹の空いた奥さんは途中でなにかを食べに出かける。僕は『酒の穴 エクストラプレーン』のサイン本、平岡吾妻の短歌入門、貧しい出版者を買う。青木さんもやってきてギリギリまで本屋であれこれ物色。体調どうですかと訊くと駄目ですね言う。ぜんぜん始める様子がないまま言葉少なに本を買い、時間になって隣のギャラリーにふらっと座る。ここまで何を話し出すか何も考えていなかったくせに、いざ始まると口火を切って自己紹介もそこそこに喋りだし、二人とも淀みなくきっちり一時間半。われながら特技だと思う。なにを話したかはほとんど覚えていないけれど、青木さんの文体=演技とは織田裕二であるという結論に至ったのが愉快だった。打ち上げは昨年とおなじピザ屋さん。六人掛けのテーブルも同じ。メニューには、ここはピザ専門店ではないので前菜を一人一品オーダーしてください、とある。しかし前菜は一皿だいたい2~3人前です、ともある。計算が合わない。そして、立派な釜がありながらピザ専門店ではないとはいかに? 粉物のほうが原価率はよさそうだし、いっそピザのオーダーを推奨したほうがいいのではないか? 疑問はつきないが従って、どれもこれも大変おいしかった。キャロットラペって何? と青木さんが訊き、誰かがしりしりみたいな、といい、誰かが酢の物といい、なますってことか、と落ち着いた。あれこれと愉快な話をして、お腹いっぱいで退店。帰り道はなぜピザ専門店でないとわざわざ宣言し、さらには前菜のオーダーを強いるのか、あるていど理路ははわかるような気もするがはたしてあの書きっぷりで合っているのかなどと盛り上がる。手を振ってわかれて、歩いて帰る。お風呂に入って、寝る。