2024.03.24

起きたら元気いっぱい! LISTEN とポッドキャストの録音で二時間程度喋くり倒し、お気に入りの焼肉屋さんに焼き加減レアのハンバーグランチをもりもり食べに行く。夕飯の買い出しも済ませる。そのあいだもずっとぺちゃくちゃ喋っていて、さすがに躁じみていて反動が不安になるが、いつまでも失速しそうにない。

林檎を剥いて『ダンジョン飯』を観る。素晴らしい作品だ。マルシルは本当にファリンが大好きなんだねというのが伝わる、あらゆる表情が提示される。その好意は親しい友人として、異なる種への愛玩として、旅の仲間として、性的なものとしてなど、あらゆる側面を持っている。奥さんは、マルシルとの入浴にエロチックな視線が持ち込まれていることによって後に続くライオスとの抱擁がすこしも性的でない兄と妹の親密さの表現として素直に受け取れるようになっていると指摘していて、感心する。

すこし昼寝して、案の定どっとくる。布団から起き上がれない。あるバンドマンが「本気で音出してない人ほんと嫌い」みたいなことを書いていて、そうか、と思う。勤勉と怠惰の対立というのは根深い。まじめにいい仕事がしたいという欲望と、自分のためだけに日々を浪費したいという欲望との対立。

シリアスな働き者とラディカルな無職とが仲よくするみたいなことが多発すればいいのになと思う。黙々と手を動かして仕事をすることを至上の価値とする人と、個人の快楽をなによりも重視して口先だけで正論を遊ばせる人との合流地点が狭すぎる。現代の保守と革新の対立って要は労働規範の対立だ。勤勉な労働者がもつ「仕事には本気で取り組むべき」という矜持と、「そんなこと知ったことか、日がないちにちゴロゴロしてたいんだ」という怠け者たちの非社会的な欲望とはどのように折り合えるのか。どちらも己の実存を賭けた倫理ですらあるから、譲れるものでもないのだし。

自営業者や経営者の、全身全霊で仕事に取り組むことを素朴に是とする態度に対して抱くぼんやりとした違和感とは、「いや、そもそもそんなに頑張りたいか? 寝ていたくない?」というものなのだが、僕自身ZINE を作っていると、週末にいそいそ各地に行商に出かけたりと勤勉になってしまうもので、でもそれは「気が向いた時だけやる」と決めているからこそ楽しめるし発揮できるものであって、生業にして恒常的にやれと言われたらキツいものがある。ほどほどに収支を気にかけながらもお金の心配はあまりせず、へらへらと軽薄に制作するという態度が、僕にはシリアスな勤勉さ以上に切実なものだ。

各地の本屋とZINE で関係を結ぶというのは、遊びであるからこそ真摯に嘘なくやる。真剣に遊ぶというのが、シリアスな働き者とラディカルな無職とが共有しうる場であると思うから。唐突だが、「まじめにふまじめ」っていい言葉だな。定期的に思い出しては感心している。

夕食を食べるが一口ごとに体力が削られる感覚がある。すこし残してしまうが、アイスは食べられる。景気付けに観始めたペダステの初代、インターハイ二日目をけっきょく最後まで観てしまう。やはりとんでもなく面白い。うっかり遅い時間になってしまったので慌てて寝ることにするけれど、外ではずっと警報音が鳴っている。これは何の音だっけな。火災報知器だったか、セコムだったか。気になる。二重窓だったらよかったのに。すこしは眠れたはずだが、夜中に関節と後頭部にむずむずした違和感に苛まされて目が醒める。そのままあまり眠れないまま過ごす。げっそりである。おしまいはおしまいのはずだったのがまたおしまいだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。