神保町ブックフリマが開催されているさなか、読書人隣での物販。Ryotaさんから『群像一年分の一年』を預かる。黄色くて目立つ販促用のポップまで用意していて、これは売れちゃうな、と思う。昼過ぎにまた来てくれるとのことなので、休憩時はお店番をお願いできそうでよかった。今回、明日も来週もあることもあって、売るぞ〜という気持ちがあまり起こらない。誰も読んでいない本を身の周りとの交流を絶って孤独に読む。少年期に培ったそのような読書観がいまだにどこか残っていて、その部分が読み書き売ることで社交をひろげていく現在の自分を疑わしく感じている。その疑いの割合がふだんより高まっているというのもあるだろう。省エネ志向で、だいたい椅子に座って本を読んで過ごし、人が来ても『群像一年分の一年』ばかり熱を込めておすすめしてしまう。他人の本を好き勝手におすすめするというのはなんて楽しいんだろう。
工藤郁子さんがいらして、差し入れです、と白い梱包材に包まれた何かを手渡してくれる。なんだろう。開けて開けて、と促され開けてみると、卓上ポップスタンドだ! 数年来「自分のブースには高さが足りないな」と気がつきつつ放置していたのが鮮やかに解決されてしまった。工藤さんはエスパーなのだろうか。どこかで話したっけ。ドンピシャで気が利いていて、驚きと嬉しさがすごかった。はしゃぎながらさっそく組み立ててみるとブースの見栄えが段違い。うん、いいね、高さが出てるね!と工藤さんもごきげんで、素敵な人だった。のちにRyota さんが売り場に戻ってきてから、仕事ができるってああいうことを言うんだねえと感嘆しきりだった。ピクニックも巧みで、差し入れも鮮やか。すごいなあ。
昼ごはんを食べに出ると丸香の行列がものすごくて、廉価にうまいうどんに並ぶということについて考える。たしかにおいしいけれど、さっと食べるからこそのよさで、ああまで並ぶのであればいっそ土日だけでも値段を倍にして客数を削ぎたくなるものではないか。車道を挟んでこっち側のやたら安い中華そばを啜る。せっかくなので幻戯書房の軒先と、八木書店のあれこれ、亜紀書房の野外販売所を眺めに行って、幻戯で『映画の乳首、絵画の腓』と『私は小説である』を、亜紀で『わたしの香港』と『失われた宗教を生きる』を半額で買う。今日お隣だった田畑書店でも三冊買ったから、収支でいえば単純に大赤字であるが、本買う金欲しさに本を売っているのだから問題ないどころか健全である。問題は引っ越しを控えて物を増やすのはよくないという点。日差しが夏だ。汗が背中をなぞっていく。
休憩明けてから、最後までRyotaさんが付き合ってくれる。しかし二人でブースに並んでいるとかしましい。なぜか毎回Ryotaさんが率先してお客さんに声がけし、寅さんのようにちゃきちゃき口上を述べ始めるので、僕はそこにちょこちょこと挟んでいくうちにいつしかお客さんを置いてけぼりにして二人で掛け合いを始めてしまう始末。それで最後には『群像一年分の一年』だけ買われていくのだ。結果的に売り上げとしてはRyotaさんの本に既刊新刊合算しても敵わず、圧倒的大差をつけられた。おおむね予測通りで、しかしRyotaさんはお節介にも、柿内さんももっとちゃんと売れるような工夫をしなさい、『二人のデカメロン』は一見なんの本かわからないんだから僕を見習ってドンキみたいなポップを書きなさい、ほらほら、いま作っちゃいなさい、と店番中もうるさいので、うるさいな、と思いつつもごもっともなのでその場で作って添削してもらう。いや、ほんと、なんなの?ぜんぜんダメ、と厳しいダメ出しをもらって、本当にこれでいいと思ってる?と詰問までされるのでまじでうるさいなと思う。納得はするので素直に従うと、まあいいんじゃない、と納得いただける。それまで散々、ダメ、混迷を極めてる、というコメントばかりだったから、これはつまりまあいいということだろうと満足し、明日の文学フリマにはこれを刷り出して持っていくつもりだ。ちゃんと黄色地に赤字でつくったから視認性もばっちり。これで明日はわがデカメロンが群像を圧倒するであろう。
夜は奥さんと焼肉を食べてごきげん。僕の本と思わず、青木さんの本だと考えて売ればいいんだなと気がつく。どうもいまは、自分の本を売り込むモチベーションが枯れている。自分の書いたものは猛プッシュしたい。『NOIZ NOIZ NOIZ #2』に載せてもらった「2.5次元演劇を見る目をつくるために」こそ、最新かつ最高傑作の文字列である。とにかくこれを読まれたい。
