2024.05.21

週末の疲れもあり、元気がない。もはや「町でいちばんの素人」ではないと思いながら「最もしょぼい玄人」への道をコツコツ歩むかあ、と考えてこの半年くらいやってみたけれど、ふつうに具合悪くなってきたからやっぱり「町でいちばんの素人」でいよう。そんなことを考える。

掲げる自称とは反転するのだが、「町でいちばんの素人」を自認している間は上ばかり見上げて自分なんかまだまだと思えていたのだが、玄人の自覚を持とうと試みている間は下ばかり目について、自分ごときにとってはこの程度でも過分なのではという思いが増していくばかりだった。僕は偏差値の低い学校でトップの成績というほうが、矜持と忸怩のバランスをうまく塩梅できるのだと思う。確かに自分はある程度できるのだが、もっとすごい人たちはいくらでもいるのだ、というような中途半端な感覚を維持できる。ひるがえって進学校で落ちこぼれていると、卑屈さばかりが募り、自分がいちばん下であるということを面白がるだけの距離がとれず、この場に届かないような人たちこそ大多数なのだというような事実を実感しづらくなる。自分をいちばんの劣位に置きたがるあまり、自身の特権性や優位をも否認し、結果的にボリュームゾーンを無視する事態にさえ陥るだろう。これは、自分にも、多くの潜在読者にも優しくないどころか有害な事態である。僕はやはり素人代表として、素人というにはいくらかだけ賢すぎる奇妙さをもちながら、バカと賢しさのあいだをぶらぶらしながら半端で大したことのないものを、なぜだか不遜なごきげんさを振りまきながら実践してみせるというのが性に合っている。そうしよう。

このように自分を素材として扱いながら、成否の点検をする定期的な試験として東京の文学フリマはやはり一定の意義はあるだろうと思う。しかし疲れすぎる。べつの試験を設ければいいので、疲れがほかの嬉しさを上回るのであれば撤退もよいだろう。ビックサイト規模になればまた変わるのかもしれないけれど、会場の雰囲気自体がのんびりしている、ということはもうないようにも思う。とにかく疲れてしまった。

そんなふうにうじうじしていたら、編集してる冊子の原稿が届き始めていて、うきうきしてきた。自分が編集に向いてるとは全く思えないけれど──じっさい実務としてはほとんど機能していない──やっぱり読むのは好きだな。帰って作業したいが、帰る頃には疲弊している。労働とは碌でもない。

ある仕事を真に理解し切実に愛するのは消費者のほうで、制作あるいは運営側にとってそれは日々の糧を稼ぐための退屈な苦役でしかない。そのようなミスマッチがありふれている。

真剣に取り組めるのは消費だけで、賃労働に全霊で取り組むなど阿呆くさい。退勤後にせっせと読み、聴き、観ているそれらもそのような考えの労働者によって手元まで流通している。それでもなお消費者は「もっといい仕事をしろ」と要求するのだとして、その勤勉の倫理は自身の首も絞めるのだろうか。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。