仕事を終えてスーパーに買い物に行く。一八時過ぎでもずいぶん明るい。自室は湿気が籠るらしく、外の方がずっと涼しい。風が気持ちよく、格安のスーパーの消失を悲しみながらあれこれ籠に入れ会計を済ます頃には夕焼けだ。とぼとぼと歩きながら見慣れた住宅街を見やり、なにも感慨のない景色だ、ここから引っ越したら二度と通らない道だろう、それでも、折々に思い出しはするのだろうなと考える。かつて住んだどの町の道にも、同じような感慨がある。誰もがなんの感動もなく使い込んでいるこの道を、僕が歩くのはもういくらもない、というにはまだ気が早いのだが、それでも限りがある道のりだ。未来の目を先取りするようにして懐かしむ。つねにそのようであれば日々をもうすこし味わうように過ごせるのかもしれない。気持ちのいい天気はそうはない。今日はとてもいい気候だ。だからこうやって、現在を過去のように慈しむことができる。昨晩風呂場で刈ってもらった襟足がすーすーしている。奥さんに髪を刈り上げてもらうのは好きだ。
支度をして、豚汁とコロッケ、明太子。作り置きの水キムチも並べる。できあいの惣菜を買ってきたから作ったのは豚汁だけだ。なんだか定食屋みたいな献立で、でもこういう食べたいものを全部つくることにこだわらずに準備できるというのはなんというかうまくやれている感じがある。ただ、もう一品副菜を作れたらもっとよかった。お風呂の後ははやめの録音。文フリで買った本を積んで一冊ずつ話していく。話しながら、あ、次はこれ読も、と思えてくる。大きなイベントのあとはどうしても傷ついて、くたびれて、しばらく本が読めなかったり文字が書けなかったりする。そこからの回復もまた、イベントで仕入れた本への関心だったりするわけだ。何か読めているあいだは大丈夫。そのはずだ。
