2024.07.24

よろよろと労働。酒は残っているような残っていないような。頭は痛いような痛くないような。楽しく飲んだ翌日は、もうお酒はいいかなと毎回思っている。無理せず昼寝。

Kindle Unlimited で読める『映画の生体解剖』の番外編や、吉田悠軌の対談本『ジャパン・ホラーの現在地』を電子で読みつつ、『非美学』をそこそこ気合を入れて読み、息抜きに『パンクの系譜学』や『家の哲学』を挟むという状態で、ここにプロレスや、今期のアニメ──こちらはまだ何を見るべきか定まっていない──なども流してみたりと気が多く、あちこちに手を出しているくせになかなか読み終わるものもないので今月の読了リストは乏しいままで何も読んでいないような錯覚を覚えている。まとめねばならない文章も、出さねばならないメールも、献本いただいていてコメントするべき本も、カーテンなど決めるべきことごとも、溜め込んでいる。ひとつひとつはすぐに終わるタスクだが、いちいち億劫で、積み重なるとプレッシャーになる。明日の休日でひとつひとつ片付けていこう。先週もそう考えて、結局髪を切ったり近所の探検だったりに出かけてしまった。労働の日は労働をしなければいけず、それで疲れてほかには自炊とかしかできない。なかなか本が読めないでいる。いやいや、だからそれは嘘じゃん。読んではいるじゃんかと自分で自分に突っ込むのだが、やはり一冊一冊をざっとでも目を通して閉じないと落ち着かない気持ちが拭い去れない。これだけはずっと読んでいたい、という類の本がいまはないということでもある。早く読んで、あれこれを吸収したいと気が急くばかりな気がするが、どうせ忘れるのだから気楽にへらへら楽しめばいいのだ。やはり読書のモードがうまくない感じになっていて、それは新しい家への遠慮や慣れなさからくるものな気はする。奥さんは家のことを人生でいちばん高価なフィギュアと言っていた。その通りだ。ばかでかい玩具を手に入れて浮ついている。なんでも自分好みにできるというのはすごくて、しかしきちんと腰を据えて検討したいが日々の労働や用事をこなしながらでは腰はふわつくばかりである。とりあえず図書スペース併設の籠り部屋の机の角をヤスリがけして快適さを増やしていく。ちょっとしたところからよりよくしていく。労働に飽きた奥さんが二階に上がってきて。籠り部屋に入り込んできた。二人でこの狭い空間にいると、なんだか秘密基地みたいで愉快だ。楽しいね、と言って、へへ、と笑う。

夕飯の支度をして、プロレスを見て、カーテンの検討のため送ってもらったサンプルを外から確認してみたり、歯磨きのために洗面所に向かったり、一階をぐるぐる歩き回っていたらふと、そうした動線をほとんど意識せずに行っていることに気がついた。そして天井の高さや壁との距離への戸惑いが消え、おおよその遠さや近さを自分の体の延長のように知覚し始めていることがわかり、ここは僕の家になってきたな、とうきうきしだして小踊りしていた。すると奥さんと目があって、すんっと踊りを止めるとなんでやめるのかと詰問される。なんとなく恥ずかしくて誤魔化す。しかしけっきょく日記にこうして書くのだから意味ないし、そもそも何が恥ずかしかったのかすでによくわからない。たまに意味もなくなにか隠し事をつくりたくなる。だいたい話したくてたまらなくなり失敗する。日記側の都合としては、そろそろ本の話をしたいし、あるいはこの家のことをもうすこしきちんと描写するべきだろうと思うのだが、なかなか言葉が出てこない。軽めの失語に陥っている。いまはとにかく、この家やその近所の空間とのあいだで、非言語の関係を試し、手繰り寄せ、つくっていく。そのようなことが必要なのだろう。そのうえで、文字で表すということをやってみてもいいだろう。でもその手前の、言葉で考えるとかえって七面倒くさくこんがらがることどもへの対処や適応に、多くの体力や気力をとられているという状況に、焦らない方がよさそうだとも考えている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。